なぜオザケンは芸能界から消えたのか モノローグ[三割増]と配信参戦(小沢健二SONGS感想)
SONGS小沢健二みましたので、その感想など。録画して後で見る人もいると思うのでちょっとネタバレ的なので寝かせてました。
YOUTUBEのSEKAI NO OWARIとの動画とか見てるとちょっと不安もあったんです、路線転換か?って。(あんまりドラスティックに変わるのってやっぱ「裏切り」って思う人もいるでしょ。)
SONGS予告を見て、それは杞憂かな、って感じはしていたのですが
結論から書くと、
『Mステ』 ≒ 子供向け vs 『SONGS』 ≒ 大人(昔からのファン)向け
それで、これ前もちょっと書いたけど、このCD自体が<ベーコンといちごジャムが一緒にある世界>を表現しているのではないか?と。
それを、テレビっていうメディアでもやっちゃった。
(『Mステ』vs『SONGS』 しいていえばSONGSがベーコンでMステがいちごジャムかな)
SONGSで演奏したのは、『シナモン』 『天使たちのシーン(半分)』『愛し愛されて生きるのさ』『流動体』。
新曲の表題曲の『フクロウの声』はやらないんです。
選曲が完全に「今、大人に聞いてほしい曲」ですよね。
これほど見事に媒体を「使い分け」たアーティストがいただろうか。(驚)
セット良かったです。衣装のブルーのモヘアのセーターの色と背景の緑の灌木(晩ご飯の後チョコレートのスープのある所まで行く散歩道のイメージかな)の色(この色、自然の色じゃなくて、クレヨンとかの色みたいに見える)が合ってて、場面によってはセーターと同じ色の花が咲いていたり、歌は歌わないけど、「フクロウの声」的な雰囲気は漂っています。
あ、もしかしたら「我ら、時」のジャケットのイメージなのかな?
どこか既視感があるのはそのせいか。(と思ったのでサムネイル画像をこっちに)
『愛し愛されて生きるのさ』も、このCDに収録されているバージョンで歌われていました。
(英語歌詞のところを「われらときをゆく」に替え歌)
そして、曲が「流動体」になったら客席ごとステージが回転して背景が東京の夜景になる。
手にしたモノローグの台本が「フクロウ」の形をしている。
そんな感じで「フクロウの声」の影はあるけど、曲は歌わないんです。
歌詞は字幕で下に出るのではなく、小沢健二を取り巻くようにぐるぐると(ひふみよサイトや歌詞カードのように)流れるように出され消える。
モノローグにも、字幕つけてくれてました。
NHK美術スタッフさん凄い。
だから、Mステの時とイメージが違って、「我ら、時」から、全く変わってませんからね、っていうイメージを出したかったのかな。
それと、皆様のNHKの番組1回を丸ごと自分色にしちゃうって、わりとありえない光景じゃないでしょうか。モノローグが多かったです。
歌と半々くらいか、モノローグの時間の方が長いくらい?
感覚的にはそういう感じ。
曲の話
今回、テレビ初公開だったのが『シナモン』。
この曲はハロウィーンをテーマにした小沢健二的AORっていう感じの曲です。
面白い、そして、今風。変身ポーズが可笑しかった。あれ自分で考えたのかな。
聴いてたら、なんだかあったかいチャイが飲みたくなってきてしまった・・・
今回、配信始めたんですよ。(モノローグ色々含みがあるなあ)
今まで試聴すらできなかったんですよ。それができるようになったとは。
音が気持ちいい。あと、<へんしんする〜よ>が頭の中をこだまして困っている・・・
こうやって聴くと、音源の方が声が高いしちゃんと出てるから、わざと太くしようとして出なくなってるのかも?
今年4曲出してるわけですが、歌として力があるのはやっぱり『流動体』と『フクロウの声』じゃないかな。
好き嫌いが分かれるみたいだけど、『フクロウの声』は半分セカオワに歌ってもらって正解だったと個人的には思います。
『流動体』は一時期飽きるほど聞いてしまったのですが、ひさびさに聞いたらやっぱり良かったです。すごく練られた曲なんだなーということを再確認しました。
特に2番まで聴くと良いです。
今回歌われていないけど『神秘的』は、詩がとても良いです。
<文学的><数学的>とか文学的でない言葉がでてこないし、曲も「美しさ」と「怖さ」の両方を表現してるし。(「怖さ」の方はよく聴くと「怖い」ね、という感じで気にならない人は気にならない)
美しいメロディライン。
(配信は今のところ4曲だけみたい。)
『 天使達のシーン』はこれに収録
『愛し愛されて生きるのさ』はこっち
- アーティスト: 小沢健二,スチャダラパー,服部隆之
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1994/08/31
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という、2つのアルバムから1曲ずつと、とてもバランスのとれた選曲。
そもそも「オザケン」はなぜ表舞台から姿を消したのか
モノローグもいくつかあって、その一つに、
そもそも「オザケン」はなぜ表舞台から姿を消したのか、という超重要な話をNHK側から事前に聞かれて、その回答として読まれたものがありました。(そういえばNHKは「オザケン」呼びしていましたね)
触れてはいけないところをずばり聞いたNHKさすが、と思った、のですが。
ですがですよ、小沢健二も真っ向から答えたわけではなく、以下のモノローグをもって回答のかわりにしました。(答えられないときは、変な答えになっちゃうか、文章にできるならそんな感じの答えをする人)
モノローグ
「三割増し」
概要
今SNSに素敵な食べ物の写真がたくさんアップされている。けれど、どれも現実は写真ほど素敵ではない。人に見せるために取ったSNSの写真はどれも3割増になっている。お見合いサイトの写真もSNSのそれも同じ。それは神話の世界と似ている。人が自分の過去を語るときも、同じことが起こる。だから人はそれを話半分に聞く。もし自分が過去を語ったら、自分もお見合いサイトの写真のように自分を良くみせてしまうかもしれない。一方、現在の姿は、過去を投影している。だから今、現在の自分が見たものを伝えたい。神話もおもしろいものだけれども。
こんな感じだったかな。要約すると。
つまりはっきりことばで答えられない。現在の姿、言葉をみてくれ、と言っています。
SNSで「盛る」ことを引き合いに出して、それを自分はやりたくないし、やらない(だから過去についてははっきり説明しない)、人がやるのは否定しないけどね、という感じでしょうか。
「インスタ映え」「インスタ映え」ってあまりにも言わる現状ってわたしはちょっとお腹いっぱいです、なところがあったので、盛ったSNSと現実には差がある、っていう指摘はよくわかります。
ただ、その差が大きければ大きいほど、むなしくも苦しくもなるのは本人だと思うんですね。
ずっとCD買って聞き続けてライブに行ってファン続けてた人は、はっきりさせてほしい、と思うのは自然なことなので、答えてくれてもいいじゃん、って意見もあると思います。
だからこのモノローグを誠実ととるか詭弁ととるかは意見がわかれるかも?
ただ、番組を見た人は、前者に解釈するんじゃないかな、と思います。
でもその辺はね、もしほんとに知りたかったら歌詞みるといいと思う、答えは書いてあるように感じるから。
人は手っ取り早く答えを欲しがるものだけど、それを「知りたい」という要求に関して、それだけ手間暇をかけてもいい、という人には、小沢健二という人はある種の「答え」のようなものは残して行ってるんじゃないかな?と感じます。
その辺は「嘘」がつけない人だと思うので。
小沢健二が過去に残したいくつかの「詞」と重要なインタビューは、それを知るための「宝の地図」みたいなものかもしれません。今でも見ることはできるし。
買わなくていいけど、この二つ。
ただ・・・それを探したところでみつかるのがその人にとって「宝」かどうかという話は別。
あと、色々フックがあるので、録画した方は何回か見たほうがいいかも。 非常に手が込んでいます。
字幕の出し方も、デザイン的にもよく見るとすごく凝ってるし美しく見えるようにできているんですよね・・・
<意思は言葉を変え>っていうところで<言葉>って文字だけがくるって回転したり、歌詞の意味をよく捉えて作られた映像だなという印象です。
あと子供のように間違えることを恐れないでいよう、というモノローグがありつつ、歌では「大人になりずいぶんたつ」を繰り返したり。
このCDも、きっと「なんでもない」小沢健二と、「とんでもなくどビックリな」小沢健二の「ハーフではくダブル」っていうことなんでしょう。
- アーティスト: 小沢健二とSEKAI NO OWARI
- 出版社/メーカー: Universal Music =music=
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・・・ってことじゃないかな、ってとりあえず思いました。MステとSONGS、『フクロウの声』『シナモン』を見て聴いて。
だから、もし意図的だとしたら、小沢健二はこのCDでは、かつてCornelius小山田がやっていたような「遊び」「仕掛け」「言葉を使わないギミック」をやっていることになるんですよね。
それに、「世の中は案外加点法でできている」 って言いましたよね?
ほんとモノローグ(と曲との連携)がとっても上手い。
そしてSONGSの美術さん素晴らしい。
25分と思えない「濃さ」なので、全部は書ききれないけど、SONGSはとりあえずのところそんな感想です。