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ぼくりりの音楽への敢えての苦言/かつての小沢健二との比較

Be Noble

 

これまで、ぼくりりすごい、とほぼほぼ褒めてきたと思いますが、聞き込んだり読み込んだりしていると気になる事も出てきます。

褒めてばっかりではつまらないので、ここでちょっと頑張ってほしいところを書きます。

10代〜30代までの若いアーティストに限定すると、今好きなのは、Suchmoscero、ぼくりり、になるのですが、
好きな音楽は、と言われたら、Suchmoscero・・・・(結構離れて)ぼくりり。という感じになります。

なぜかというと、Suchmosceroは、単純に聴いていて、自然にからだが揺れる、耳が気持ちいい音を作っていて、だから耳がほしがるし、何度でもリピートしたくなる。


ぼくりりは、聴いていて聴き心地よいけど、一回聴いたらいいかな、と思えてしまうところもある。

特にSuchmosは、歌詞は荒削り、英語はめちゃくちゃだけど、とにかく自分たちが聴いて気持ちいい音楽を作る、という姿勢をひしひしと感じるし、
ceroは、この中では一番ベテランで、聴いてると身体が揺れる音と、不思議な歌詞で独特の世界観をマイペースに作っていて、音楽へのコミットを感じる。

その点、ぼくりりの作品は、良くできているけど、中毒性があるとまでは言えない。
(部分的にはあります。鬱のバラード鬱のバラード、とか)

何だろう、優等生の音楽。emotionalではない。
一度聴いたらもういいかな、と思わせてしまうところも確かにあります。
それはロジックから入ってアタマで音楽を作っているからではないかと思う。

言葉は、過去の音楽ではなく、文筆の世界から借りてきているので、音楽畑の人には新鮮に感じるかもしれませんが、本を読む人が聴いたら、どっかできいたことあるな、って思われるだろうし、

音楽というより、耳障りよい朗読に聴こえることがあります。
それって音楽としてはまだまだなんじゃないか。
(でもラップってそういうものなのかな)

まあ10代で独自の世界観があったらすごすぎなのかもしれませんが、
でも椎名林檎のデビューアルバムの曲はほぼ10代の時に作ったもの、
ですが、楽曲の振れ幅も大きく、世界観も既に完成されていました。
渋谷系に対して自分を「新宿系」と売り出したりセルフプロデュースも見事で、「歌舞伎町の女王」は聴いていると情景が目に浮かぶようで、当時小説みたい、映画みたいだなと思って何度も聴いていました。
「丸の内サディスティック」は今もライブの定番曲で、まさに「音楽のキキメは長い」。

 

同じく頭が良くて勉強ができて、良く本を読んで歌詞を書いていた、10代の小沢健二はどうか。
フリッパーズで歌詞を主に書いていたのは小沢健二ですが、

私は以前、小沢健二を見て、

恵まれた家庭で育って、自分は東大出て、
叔父さんがあの小沢征爾だったり、親戚一族に政財界の有力者が複数いたり、
音楽の歌詞の才能あって、有名女優と付き合って、超明るい曲作って歌って

「この人にコンプレックスなんてないんだろうな」と思っていました。

でもだんだん実は小沢健二って深い闇があるんじゃないか、
もしかしたらコンプレックスの塊かもしれないと思うようになりました。

小沢健二は昔よく自分は女の子にモテる、と言っていたのですが、
本当にモテる人はそういうこと言わないんですよね。

有名芸能人数人と浮き名を流していて、確かにモテてたのかもしれないけど、

わざわざそれを言いたくなるということは、他に何かあるな、と感じていて、
それは2万字インタビューを読んで、ああ、やっぱり、という確信に変わりました。

詳しくは読んでみるとわかりますが、
小沢健二は中学後半から高校時代にかけてかなり深い闇を抱えていたことを本人が語っています。

小沢健二は浪人もしていて、大学に合格してから、小山田が既に組んでいたバンドに後から入れてもらったけど、

バンド内では小沢は小山田以外とコミュニケーションを取らなくて、バンドの動きがちぐはぐになってしまい、5人のうち初期メンバー3人が脱退して結局小山田と小沢の二人でフリッパーズになった、という経緯とか。

「だって音楽やりたかっただけで、バンドの人間関係とかめんどくさいから、どうでもいいと思って。自分がいて、友達が一人いて(小山田)、僕は女の子にはモテるから付き合ってる女の子はいて、(人間関係は)それでいい。」と言ってしまう人です。
「自分はわがままで、小山田はよく辛抱してくれたと思う」とも言っていました。

小沢健二の書く歌詞には、そういう闇がバックボーンにあるのです。


90年代に書いたものすごく明るい曲も、歌詞をよく聴けば、絶望からの希望、という意味が浮き上がってきます。
だから単純じゃないのです。

ぼくりりは、大人ともうまくやっているし、クラウドファンディングで資金集めたりしたら、目標額以上に集まっちゃったり、これまで順風満帆としかいいようがない。(東大落ちたのだけは悔しかったかもですが)

ぼくりり自身、これといって挫折したり失敗したりした経験がないのが表現の根拠の弱さになっていないかいうことは感じているみたいですが。

あと、音楽にそれほどコミットしていないような。
「今は音楽をやっているけど、やりたいことが変わって行って、音楽がその足かせになるなら引退してもいいと思ってる」と言ってました。

これってファンを切り捨てちゃうって言ってるのと同じです。

Suchmosceroとはその点、音楽に対する熱量が違う、と感じます。

でもそれくらい気楽な感じでいたほうが、かつての尾崎豊や、

かつてふっといなくなってしまった小沢健二みたいにならなくて、それはそれで本人にとってはいいのかもしれない。

小沢健二も、音楽以外にやりたいことを見つけてしまったみたいだけど、また音楽にも戻ってきてくれましたしね。

 

 

 

 

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