建築家ル・コルビュジェはコピーライターでもあった?
国立西洋美術館が世界遺産に内定し、設計者のスイス出身のフランス人建築家のル・コルビュジェが注目されています。
ル・コルビュジェは、建築家としての業績もさることながら、雑誌を創刊し、芸術論を執筆したり、絵を描いたり、本の装丁やタペストリーの制作など、さまざまなアーティスト活動を行っていました。
ル・コルビュジェの言葉に、「建築は住むための道具である」というものがあります。
現在コンクリートの建物は当たり前になりましたが、石づくりの建物しかなかった当時のヨーロッパで、コンクリートの建物は当初受け入れがたいものだったかもしれません。
そういった逆風の中、このようなキャッチーな表現を使ったことで、世の中にコンクリートの近代建築の機能性を印象づけたのではないでしょうか。
つまりル・コルビュジェという人と作品がここまで有名になったのは、こういったコピーライティングのセンスも奏功している部分もあるのではないか? と思っています。
ちなみに、「ル・コルビュジェ」という名前も、本名ではありません。
コルビュジェの本名は「シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ= グリ」といいます。
若い頃雑誌に記事を書く時のペンネームとして「ル・コルビュジェ」という名前を使用していましたが、やがて本業の建築家としてもこの名前を使うようになりました。
本名の「シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ= グリ」では、やはりちょっと覚えにくいですよね。
「ル・コルビュジェ」という名前には、圧倒的なインパクトがあり、一度聞いただけでも名前が記憶に残りやすいのではないでしょうか。
こういった意味でネーミングの効果も知っていたような気がします。
ではコルビュジェ本人はどんな文章を書いていたのかというと、よく言えばアーティスティック、
普通の感覚からしたら、非常にわかりにくい難解な文章、という感じではないかと思います。
コルビュジェの書いた「小さな家」という本を読んでみましたが、
本を開いて、「これは一体何をいっているんだろう・・・」と非常に戸惑いました。
「小さな家」は、コルビュジェ自身が家族のために建てた家について紹介した、その記録的な本なのですが、
この建物に関してわかりやすく筋道を立てて紹介する、というより、ざっくり言えば、ポエムのような感じで、散文のように表現されています。
なので、一読しただけでは解読が非常に難しいのです。
コルビュジェは、この本自体を一つの「アート作品」と認識していたということかもしれません。
そういう意味では、この本の文章は、コピーライティングとはかけ離れた書き方であると思います。
建築に関わる人に、「他にも優秀な近代建築家は多くいるが、近代建築家の中で、コルビュジェは特に、建築に関わる専門家以外の一般にも知られていて、その一般評価が突出して高いような気がする。それはなぜか」と聞かれたことがあります。
「ル・コルビュジェ」という人には、建築家としての才能はもちろんあったと思います。
しかし同時代に同様の活躍した近代建築家に比べて、特に日本での知名度に関しては非常に高いように思います。
それは、建築家としての才能に加えて、コピーライティングやネーミングのスキルも持っていた、ということも一つの要因ではないだろうか、と考えてしまいました。
建築に関わる人に、「他にも優秀な近代建築家は多くいるが、近代建築家の中で、コルビュジェは特に、建築に関わる専門家以外の一般にも知られていて、その一般評価が突出して高いような気がする。それはなぜか」と聞かれたことがあります。
「ル・コルビュジェ」という人には、建築家としての才能はもちろんあったと思います。
しかし同時代に同様の活躍した近代建築家に比べて、特に日本での知名度に関しては非常に高いように思います。
それは、建築家としての才能に加えて、コピーライティングやネーミングのスキルも持っていた、ということも一つの要因ではないだろうか、と考えてしまいました。
ただしコルビュジェ本人は建築よりもむしろ「絵」にこだわっており、一番やりたかったのは「絵を描くこと」「画家として認められること」であったようです。
コルビュジェ本人は自身をアーティストである、と考えていたようです。
コピーライターという認識はもちろんなかったでしょう。
ただ、本人には「コピーライティング」や「ネーミング」のスキルがあり、自身が表現活動をしていく中で、時と場合に応じてそれらをうまく活用していたように感じます。
それがまた、コルビュジェの現在の地位を確立することにもつながったのではないか、というのが個人的な見立てなのですが、皆さんはどうお考えになるでしょうか?