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ぼくりりVSフリッパーズ 世代の違うアンファンテリブル1

ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン)1993 8月号 VOL.75 小沢健二 フリッパーズ・ギター

ぼくのりりっくのぼうよみのアルバム「ノアズアーク」の3曲目「在り処」の記事でフリッパーズとの比較を書くといった件です。

 

piria.hatenablog.com

 


フリッパーズを今改めて聴くと、内に秘めてる葛藤、狂気を感じるのですが、鬱にはなっていないんですよね。ポップで明るい。小山田が歌ってるせいもある。


ただ、根底にあるのが「大人が悪い」「自分たちが正義」という態度で(少なくとも2ndまではそう。でも3rdはちょっと違う)
だから今聴くとちょっと傲慢なところが気になってしまう。
(そういうのが大人に叩かれた原因かな)


でもメロディや微妙な言葉選びは今でも良いと思う。もう25年以上経ってるのに。
(個人的に音として好きなのは1stと2ndで、3rdはサンプリング多すぎてちょっとうるさく感じる。ただ歌詞は3rdの方に切実なものを感じる。後で書く。)

ぼくりりは内面の葛藤や狂気(あくまでもそれ的なもの)があっても、攻撃性が内に向かっている歌詞を書く。
「スカイズザリミット」で初めて突き抜けた明るい曲を書いた、と本人が言っていた通り、基本的に鬱モード。


で、ナイーブな子なのかと思って発言とか見てると、大人に意見聞きに行くとか無邪気だし、ネットをうまく使っている(twitterにブロックされるくらい誰にでもいいねして自分の痕跡残すとか、クラウドファンディングで500万単位で資金調達するとか)あたり実際には神経太そうだなと思う。


その辺りが不思議な子。

フリッパーズの小山田・小沢、ぼくりり、
いずれも若くして才能が見いだされた、
「選ばれた」人で、実際当時の小山田と小沢はそういうところを隠さなかったと思うし、
ぼくりり当人もそう思ってるところがあるはずだけど、当時のフリッパーズが持っていたような傲慢さは、ぼくりりにはあまり感じないです。少なくとも楽曲の中では。

でもブログとか見ているとフリッパーズ的傲慢さがやっぱりあるかなと思うので、
フリッパーズはある意味正直(すぎる)

出さないぼくりりの方が腹黒い、言葉が悪ければ言い換えると外からどう見られるのか気にして行動しているのかも。

ぼくりりは自分自身を「根がポジティブ」だと思っていると発言していて、

Conversation 03|Noah’s Ark
(そうじゃなかったらオーディションに応募したりしないよね)


自分はポジティブだと思っているのに、ネガティブな歌詞を、しかも俯瞰した目線で書くというところは、音楽に対してもリスナーに対してもちょっとゲーム感覚で、それが無自覚なところ
ある意味残酷さを持っている気がします。
(だからどっちも別な意味でアンファンテリブル)

でも「Black Bird」とかで見せるやさしさもあって、この子はどういう子なんだ?と。

恐るべき子供たちだったフリッパーズは、フリッパーズギターというユニットとしては短期間の活動で終わってしまって、その後小沢と小山田の二人は正反対ともいえる路線を歩きだした。


でも、ぼくりりは「ノアズアーク」でその先を見ている。
大人ともうまくやっているらしい。
それを考えた時、ぼくのりりっくのぼうよみの行く先、どこまでこのままで行けるのか、あるいはどこで転換するのかがとても気になるのです。

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