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ぼくりりのアルバム「Noah’s Ark」歌詞の意味[在り処]編

Noah's Ark

ぼくのりりっくのぼうよみのアルバム「ノアズアーク」3曲目「在り処」

 

 

アルバムの中でも特にシリアスな曲です。
自分の存在意義を自問自答する歌ですが、キリスト教仏教ユダヤ教などの要素をちりばめてきています。
ぼくりり公式には、望まれず生まれた命がテーマとか。
でもそこにぼくりり本人の心情を混ぜてきている、と私は思っています。

 

ピアノとかすれた声で始まります。

在り処

在り処

 


恵まれた人がなんで悩むことあるの?って思われるかもですが、
お釈迦様は、王子様の生まれで、なんでも与えられてる身分なのに、空しさを感じて出家してしまったのですよ。しかも妻子を置いて。

なので釈迦の出家もワイドショー的な目で見ると結構ひどい話になります。


さらに、コンセプトアルバムなので、前の曲「shadow」との繋がりも踏まえて聴いて(読んで)いきたいと思います。

 

肌を刺す 立ち去れと喚いていた
居場所なんてなくて 残る体温

 風が肌を刺すように吹き付け、まるで「立ち去れ」と言われているように感じます。

居場所がなく、自分の存在意義が判らず苦悩する姿を歌っていますが、
ここは2重(3重)の意味があります。

自分の才能が枯れて歌を作れないことによる存在意義の喪失と、
愛する人に受け入れられないことによる存在意義の喪失。
「居場所なんてなくて残る体温」は
愛を受け入れられないのに、相手の身体の温もりだけが残っているという空しさ。
また、自分の存在意義がわからず死んだようになっているのに、身体だけが残っているような感覚。

 

人は誰かに必要とされて初めて人になれると聞きました
その時僕は「死にたいな」と思いました

こちょっと他の箇所と書き方を(歌い方も)変えてきています。
自分の存在意義がわからないから死にたい、ではちょっと短絡的すぎますよね。
ぼくりり公式テーマは「望まれず生まれた命」ですから、望まれないで生まれてしまったことを悲観している、
「shadow」を踏まえると、
人は誰かに必要とされて初めて人になれる、
それなら愛する人に必要とされない自分は人にはなれないのか、それなら死んだ方がいいなという意味になります。

みんながあの目で僕を見てる
知らない言葉で傷つけてく 

「あの目」というのは、普通に考えると
「変なやつ、変わった奴」
公式テーマから考えると、孤児をあわれむ目
「shadow」からみていけば、「ああ、あの遊ばれて捨てられた男だよ」っていう目です。

 

ちなみにぼくりり本人は、ネットで悪口言われても傷つかないそうです。
メンタル強くていいね。

 

愛を注がれない器に
穴だらけのこの惨状

(中略)

存在さえも赦されないなあ

望まれずに生まれた自分は元々愛されない
おまけにどこか欠落したところがある
そんな自分は惨めで存在する価値がないと歌っています。

 

パーツがかけて歪んだ身体

「shadow」を踏まえれば、愛せども身体だけ求められて相手から本当の愛は得られない
パートナーというパーツが欠けた自分は、身体的にも不完全に思えてしまう、という意味。

ぼくの心は何処へ消えた

なんでまだ死ねないのか

心が死んだならいっそ身体ごと死んでしまいたいのに、

何故身体は生き残ってしまっているのだろう、という苦悩。

 

そして以下のフレーズにぼくりりならではのセンス・ユーモアを感じます。

死ねない自分が「ごきげんよう」 

 そしてメタ自分の方が苦悩している自分に「ごきげんよう」なんて声をかけてくるのです。
こんな話を他人にしたら「病院に行きましょう」と言われてしまいます。
だから誰にも言えず思い悩む。

 

生まれた時から茨の中 

 これは釈迦の教えの中にもあり、仏教の素養があるのかなと思わせる一節。
バックグラウンドにユダヤ教仏教などの素養が見られると書きましたが、
前半で出た「居場所を持たない流浪の民」はユダヤ人、
「zion」という単語は、シオン山、ユダヤ教でいう聖地。
「望まれないで生まれた命」を故郷を持たないユダヤ人に重ねています。

 

小沢健二の「流動体について」のカップリング曲「神秘的」にも仏教キリスト教イスラム教全部入ってるけど、単語だけならぼくりり負けてないかも。
(ただし小沢健二の方がこなれ感で一枚も二枚も上)

 

小沢健二の新曲は「流動体について」が話題になっているけど、「神秘的」は穏やかな家庭の風景、本人自身の身近な街の風景の中に仏教キリスト教イスラム教を絶妙に折り込んで来ていて、これもすごく好きなのですが、よく聴くとちょっと怖くなってくるところもあります。
それが坂本龍一の「async」でやっていることと重なるところがあって、そんなところを後で書いてみようと思っています。(忘れなかったら)

 

Suchmosも「ザイオン」使ってるんですよね。
「Zion on my mind / (A.G.I.T./THE KIDS)」

 

A.G.I.T.

A.G.I.T.

 

結構歌では使われるのか・・・歌詞検索したら日本語の曲で46曲あった。Nulbarichも使ってる。

 

LIFE

LIFE

  • Nulbarich
  • ロック
  • ¥250

 


ラップ、韻踏み系の人は結構気軽に使ってるのかな。

 

何でまだここに居る意味を
なんで未だ死ねないのか 

 

心が死んでしまったら生きる意味がない、でも身体だけは生きている。
その意味とは何なのかを自問自答しています。

 

重いテーマで鬱々した歌詞ですが、本当に鬱なわけではありません。
ぼくりりの歌詞全般に言えることですが、俯瞰した目線で語られているのが特徴です。
本当に鬱だったらこんなアルバム作れませんから。

 

自分のことではないから歌にできる。

その辺残酷だなってちょっと思います。

またぼくりりとフリッパーズの比較になるから記事を分けよう。

次は「予告編」。ちょっとトーンが変わってきます。

 

Noah's Ark

Noah's Ark

 

 

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