chara新アルバムSympathy(シンパシー)レビューと感想2歌詞の意味
chara新アルバムSympathy(シンパシー)レビューと感想の続きです。ちょっと折り返すの早かった。
これ、普通に歌詞みないで聴いてると、かわいい音楽です。
で、歌詞見ながら1回聴くとすごくもやっとすると思います。
2〜3周聴くと、だんだん意味がわかってきて泣けて来る。
そういうアルバムみたい。
だから、あんまり気軽に簡単には書けないな、と思ってしまって。
(コーネリアスの
Mellow Wavesもそうなんだけど)
歌詞の意味は1つ1つ解説してもあまり意味がないみたいなので、最後にまとめて書きます。
あと、Tiny DancerのMVが出来てました。満島ひかりが演じててかわいい。
Chara 『Tiny Dancer』Music Video
曲解説。
この曲は水曜日のカンパネラのケンモチヒデフミが作曲。曲はエレクトロニックなダンスミュージックです。charaの声もエフェクトかかって、ちょっとエコーかかったように聴こえます。このアルバムの中では異色な音。(Funkもちょっと違うかな)
で、後から出てきたこれ、なんかちょっと似てるんです。テーマもモチーフも。
作曲者が同じで、アレンジは加えてるけど曲とテーマが似ちゃってる、歌詞と感情の入り方が似て非なるもの。
この曲はmabanuaとデュエット風なパートもあります。
作詞はchara、作曲はmabunua。この人はトラックメーカーで、ドラマー。
藤原さくらのアルバムでもドラム担当しています。
(春の歌のてくてくドラムもこの人なのかな)
春の歌はアルバムにも入ってます。
この曲は韻シストのBASIと作詞作曲共作で、BASIのラップパート、charaのラップパート、デュエットパートがそれぞれありますが、全体的にはすごくまとまって聴こえます。
意味がわからないけどここ好きです。
惨めな気持ちに 捕まればいつの間にか純粋な崖が好き
こういう歌詞、charaよりスピッツの草野マサムネ(作詞名義は草野正宗)が書きそうだなって思ってしまった。
他の人と共作にすると、歌詞の中に落とし込んだ自分の気持ちが分散されますよね。あえてそうしてる感じ。
MondoGrossoの
何度でも新しく生まれるでも、若い人が書いた歌詞を大沢伸一がバラバラに並べ変えたり、このイメージで、って小説の一部を渡して書かせたりしてる歌詞があって、そうやって作られた歌詞は若い時に持つストレートな激情が中和された感じになってるんです。
charaもそういうことをこのアルバムでやっている感じがします。
コーネリアス小山田圭吾は、その逆で、自分で書いて歌うのは恥ずかしい歌詞は他人に頼む。
この曲一番好きかもしれないです。大きな木みたいに寄りかかっても大丈夫な人を探してる、っていう歌。
多分フルートかな、っていう笛の音も好きです。この曲の中盤で笛の音が震えるところがceroのsummer soulっぽい。
ここ好きな歌詞
大きな木の下で お昼寝することよ
私のそばにいてよ
でも、いつでも盗まれる準備はできていて、特別な一つを失くした気分よ、とも歌っているんですよね・・。
これはピアノが全面に出てる曲です。途中に入る金属系の打楽器の音もかわいさ増。
最初にcharaがハミングして、赤ちゃんかほんとに小さい子の笑い声が聴こえて、
途中で誰かが、何かおもちゃのピアノみたいな楽器を子供みたいに叩いて鳴らしてる音がサンプリングされています。
kiligは、英語ではなくフィリピン語(タガログ語)で、めまいがするほど大好き、みたいな意味。
この曲もかわいい。これはクリスマス時期にシングルが出てた曲かな。今の季節に聴いても違和感ないです。
トライアングルか何か金属楽器のかわいい音が時々入って
この辺の歌詞とかcharaらしくて好き
全部知りたいんだよ 秘密よりも 親密さが知りたい
私は私らしく 愛の真っ白に掴まれ
あと、この歌詞も意味不明だけど好きです。
まだ来ない。。私の右手を隠すためのお部屋だから
大きなポケットにプリーーーーーズ
たぶん、相手のポケットに自分の右手を入れたいんですね。 それを私の右手を隠すためのお部屋、って言ってる。
この曲は好きとか通り越してすごく切なくて泣けます。
夢しか会えなくなって
あなたの面影なんか
小さくたたんでしまって
やさしく生きるためにいいでしょう
バイバイした人を夢で思い出すけど、そういうのは忘れて生きよう(忘れようとして忘れられるわけではないけど)って言ってる歌詞かなと思います。
亡くなったわけじゃないから、夢でしか会えないわけじゃないのに、もういないことにしちゃうんです。たぶんそうしないと辛いから。
でもあなたは自分の半分を否定しなくていいよ、涙の意味もわからなくていい、大丈夫よって言ってる。
・・・こんな感じ。
一つ一つの歌詞の意味はわかりにくい方だと思います。
charaはデビューの頃も失恋したり浮気されたりした歌を書いてたけど、それは割とその時の気持ちをそのまま書いてると思います。
今回も、気持ちを素直に書いてるけど、何層にもシュガーコーティングされています。
明るいことばを中心に置いてて、そこにほんのちょっとだけそういうのを混ぜてくるので、一見ハッピーな歌かなと思ってしまう。でもcharaはその明るい曲の裏で実は動揺したり、悔しくなったり悲しくなったり泣いたりしてるんですね。
アルバム全体で、一つの失った特別な愛について語っていると思います。
大きな木みたいな、寄りかかっても大丈夫な大きな木みたいな人、木の下でお昼寝するのが好き。そばにいてほしい、特別な一つ。でも恋の奴に盗られちゃって、嘘は嫌いで、ただ好き。なのにあなたの住む世界ではうまく泳げない。でも愛したことは真実。だけど、もう思い出さない、何も望まない、小さな愛のお家にしまっておこう。やさしく生きるために。
・・・って言ってるような気がして。
こういう要素がアルバムの色々な曲の中に分散されてるので、1曲1曲、全てがラブソング、ということはわかるけど、それはアルバムという全体を構成するパーツの一つで、1曲だけ聴いてもその曲そのものにはあまり意味がないか、意味がありそうでなさそうに感じてしまいます。
だから全体としてはすっごくキュートでポップ、可愛らしいんだけど、その中に深い愛とやさしさと、すごく切ない気持ちをにじませてる、そんなアルバムだなと思いました。
アルバム通して聴いて最後に聴く「小さなお家」は、charaのやさしさと切なさと愛の深さとで泣けてきます。
ほんとうに可愛くて、やさしくて、大きくて、純粋なひとだなってこのアルバム聴いて改めて思いました。
デビューの頃と、テーマは大きくは変わらないんだけど、音楽にするときの表現の仕方が変わってて、charaをデビューの頃から宝物みたいによく聴いていたから、その時とは違っていて。
だからこれも「メロウ」な一枚だなと思うのです。
でも、charaがせっかくかわいくて楽しい曲に仕上げてくれてるから、何も考えないで楽しいかわいい音楽として聴くのが楽しい聴き方なのかなという感じもします。
だからこういう音楽ってどう聴いたらいいのか困っちゃうんですよね。
何も考えないで聴こうと思っても、実際には曲に込められているものがあって、隠してもにじみ出てくるものもあるから、聴く方だってどうしてもそれをキャッチしてしまうこともあったりするので。
charaが変わってないようで変わっていて、それはとっても素敵な変化だと思うし、こういうのがほんとの愛だなって思うので、このアルバムは特別大事に聴きたいと思っています。
作り物じゃないぶん、泣ける映画よりずっと泣ける。