満島ひかり[ラビリンス]はぼくりり[shadow]と対で聴くと2倍面白くなる
Mondo Grossoのアルバム「何度でも新しく生まれる」は、
ぼくのりりっくのぼうよみがEP「ディストピア」やアルバム「ノアズアーク」の前半で描いてるディストピア感を大人が表現するとこうなる、っていう感じがする、
ということを書きました。
で、「何度でも新しく生まれる」の中に入ってる「ラビリンス」(満島ひかり歌唱)がすごく良くて、癖になると。
「ラビリンス」はすごくエロティックな曲です。
満島ひかりの歌がはまっていて、聴いてたら、それはここから抜け出したくないだろうなと思えてきちゃう。
(聴いてる方がこの曲から抜け出せない)
「ラビリンス」が頭の中をエンドレスリピートしていたせいで、あることを思いついてしまった。
それがちょっと面白かったので今日はその話。
この曲、「ラビリンス」は、ぼくのりりっくのぼうよみ「Noah's Ark」の「shadow」と対になった曲として聴けるのです。
「ラビリンス」の主人公は女性で、現実を全て忘れさせてくれる相手と真夜中のパラダイスで甘く溶ける二人だけのダンスを踊っていたい、と歌う。
でも相手はわからない。
相手の存在、輪郭が見えてこないんです。
だから何もかも忘れさせてくれるなら、相手は誰でもいいのかなと思う。
(聴いてる男性が自分だと思ってもらってもいいように出来てる、という気も)
ぼくりりの「shadow」の主人公は若い男の子で、相手に「君」がいて、そこに人妻を想像させるような輪郭が描かれています。
なので「shadow」の主人公(男)の相手が「ラビリンス」の主人公(女)だと思って聴くことが可能です。
そうやってこの2曲を聴くと、若い男の子目線、相手の女性目線、双方の目線で同じ物語を語っているように見えるんです。
ストーリーはこういう感じ。
「shadow」の主人公(男)と「ラビリンス」の主人公(女)
この二人がたまたま出会う。2017年のディストピア感の中で、お互いに現実逃避したくなっていて、そこで双方の思惑が一致します。
痺れたまま どちらからも 帰ろうとはせずに
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
それで最初は二人ともラビリンスの中をぐるぐるしていたい、って思う。
当てもない迷路に迷い込んだ幻に全部奪われている
ぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
引きこまれて 迷宮のパラダイス
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
この辺、ちゃんと対になる歌詞があるところが偶然とはいえ面白い。
(まあ、探してきたんですけど)
で、「shadow」の主人公も、「ラビリンス」の主人公も、どちらも最初は夢中になって迷宮のラビリンスをぐるぐるしているのが心地よかったんです。
ここまではよかった。
代わり映えしない毎日に混ぜた毒は
劇薬 脳天刺すアドレナリン
ぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
何も言わず 口づけして 空から墜ちる
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
(そらからおちるーぅ ってところは、音を重ねたりして完全にエクスタシー感演出してます。いやらしくはないです。)
ですが、若い「shadow」の主人公の方は、だんだん本気になってきて、苦しくなっちゃうんですね。
幻だとわかっていて愛おしく思ったり、罪悪感を感じたりする。でも抜け出せない。
浅ましい過ちにそれらしい言い訳並べて
あの日の自分ごと騙す
ぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
真っ黒に淀んだこの体
中途半端な自分が首を絞める
ぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
(騙す、ってところを「だますぅ」って裏声で歌ってます)
若い「shadow」の主人公の方は、このままじゃいやだ、って気持ちが強くなってしまう。
それに対して「ラビリンス」の主人公の女性はずっとこのまま出口もなく終わりもなく揺れていたいの、って言っている。
出口もなく 終わりもなく 包まれていたいの
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
止まらないで 揺れていたいの
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
ここで最初は一致していた両者の思惑が食い違ってしまいます。
「shadow」の主人公の若い男の子の方は、「shadow」の歌の中でも(たぶん)振られちゃうんです。
その辺詳しいことは「shadow」の歌詞の解説に書きました。
このままではいやだ、という男の子に対して、
ラビリンスの女性の方はこう言います。
邪魔しないで
真夜中のパラダイス「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
わたしはこのままがいいの、だから「邪魔しないで」って。
なかなかひどい女です。(笑)
「shadow」の主人公は、それならもう終わりにしたい、って思うようになって、こういう歌詞が出てくる。
口の端に置いて
繰り返しにピリオド
さようなら
ぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
対して「ラビリンス」の主人公は
みつめないで哀しい方を
目を瞑って 口づけしよう「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
って言っている。
「繰り返しにピリオド」を打とうとしている「shadow」の主人公に対して
「ラビリンス」の主人公は「みつめないで哀しい方を」って否定して、「目を瞑って 口づけしよう」って言って、また誘っちゃうんです。
それで、「shadow」の主人公も、「さよなら」を曲の中でちゃんと言えてない。
言いかけてはいるんだけど、最後こうなっちゃう。
この刹那だけが
ぼくをぼく足らしめる
一瞬であれぼくのりりっくのぼうよみ・「shadow」
やっぱりこの一瞬だけが自分が存在していることを感じられる。と。
ここで終わってしまうんです。
試聴聴いたらわかると思うけど、「shadow」は始まりの歌詞のフレーズと終わりの歌詞のフレーズが一緒です。だからエンドレスループのラビリンスから抜け出したくて抜け出せないでいるんです。
「ラビリンス」も、歌詞の最初のフレーズと最後のフレーズが同じです。
見つめないで 哀しい方を
目を瞑って 口づけしよう 甘く溶けるメロディー
「ラビリンス」・Mondo Grosso(満島ひかり)
つまり「ラビリンス」もエンドレスループなんです。というか、ラビリンスこそが正真正銘のエンドレスループ。
ラビリンスの場合、中盤もずっと同じことの繰り返しです。最初からどこに行く気もない。ずっとおなじところにとどまっていたい。ほんとにぐるぐるしている。
「ラビリンス」がエンドレスループなのに対して「shadow」は中盤でそこから抜け出そうと試みてます。
でもその目論見は失敗に終わってしまう。
「shadow」も、頭出しの歌詞と、最後の歌詞を同じにしているところに、ラビリンスのようなエンドレスループな世界に、また引きずり戻されちゃいそうになってるっていうことがあらわれていると思います。
ただ「shadow」は最初と最後のフレーズが、歌詞は同じなんですけど、歌い方だけ変えてるところがあるんです。
なのでそれを聴くと多分、その後、彼はおそらくこの迷宮から抜け出すんだろうな、っていうことが予想できます。
曲を作った当事者にはまったくそういう意図はないと思うんですけど、2曲並べると、女性目線と男性目線で視点が切り替わる演劇みたいに聴こえます。
持ってる人は、並べて聴いてみて。
iphoneとかipodとかで聴いてる人はプレイリストにこの2曲入れて交互に聴いてみて。
曲順は
「ラビリンス (Album Mix) [Vocal:満島ひかり]」
「shadow」(Noah's Ark)
「ラビリンス」
「shadow」
みたいな感じで。
「ラビリンス」は、最後アウトロなしで、指を鳴らすパチっていう音が入って、その後すっと終わります。
で、「shadow」のイントロは、ミュートなところからだんだん音が立ち上がってきます。
なので、この順番で聴くと、一つの流れができて2曲で1曲みたいに聴こえます。この曲と曲の繋ぎも面白い。
繰り返し聞いてると、「見つめないで 哀しい方を」っていうラビリンスの歌詞の女性が、哀しいんじゃなくて身勝手に見えてきたり、悪い事してるはずの「shadow」の主人公の男の子がかわいそうになってきたりする。
「ラビリンス」の持ってる気持ち良さとエンドレスループ感が余計にそうさせるんだけど
この男の子の抜け出せない気持ちがわかって切なくなったりしてきて、聴いてる方の気持ちが色々と面白いことになります。(笑)
今ぼくりりの「ノアズアーク」のアルバム全曲全解説をやっていて、そうすると粗が見えてきちゃうところもあるんですけど
こうやってぼくりりの「shadow」の歌詞をまた書き出すと、ベテランの歌詞と並べてみても、やっぱりいい出来なんだな、と思ってちょっと感心してしまった。
ちなみにラビリンスの歌詞はスカパラの谷中さんが担当しています。両曲とも男性の作詞っていうのもうなずける。(女性はあんまりこういう発想はしないかな)
現実に起こる話だと男女逆パターンの方が多いですね。