小沢健二が「流動体」で言えなかったことがぼくりり「ノアズアーク」に描かれてる件
これまでぼくりり中心に話をしてきたので、今回は小沢健二を中心に話をします。
その理由はなぜかというと、ぼくりりの「ノアズアーク」と小沢健二の「流動体について」のメッセージが被るからなんです。
今年小沢健二が「流動体について」を出して、結構売れました。オリコンデイリー4位、ウイークリー2位になったとか。
これは小沢健二のキャリアハイなんだそうです。
(なんでこうなったか、っていう理由はまた別な機会に書く、忘れなければ)
でも普通の人は、急にこの曲を聞かされても、曲はいいかなって思っても、言ってることはよくわからないと思うんです。
急に「神」とか出て来て戸惑うと思うし、「宇宙の中で良いこと」とか「流動体」って何なのか、とか。
小沢健二もテレビに出て曲披露した時、この曲のメッセージは?ってきかれてもそこはお茶を濁す。
はっきりしたことは言わない。
小沢健二は書き物もしていて、それが「うさぎ!」という小説形式のほぼノンフィクションなんだけど、
そこで小沢健二は何をしているかというと、いろんな問題を提起したり、世の中に知られていない「ほんとうのこと」を暴いてそれを書いたりしています。
そういう意味ではフリッパーズ時代の
「ほんとうのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり(ドルフィンソング/ヘッド博士の世界塔)」
この続きを小沢健二はまたやり始めた、とも言える。
小沢健二が一周か2周回って原点に帰ってきたのかな、と思う理由です。
なぜ小沢健二にそれができるかというと、アメリカでは、ある一定期間が経つとそれまで「機密文書」だったものが公開されるようになる。
小沢健二はNYでそれを読んでいるんですね。それ読んで、「日本のジャーナリストって何やってんの?」って言いながらそれを書く。
そのまま書いたら「報道」だけど、そこに小沢健二なりの解釈(小沢健二バイアス)が入るから、そのせいで一部の人たちの間ではちょっと問題作(?)みたいになっていたりもする。
(右よりな人に「革命ごっご」にはまったお坊ちゃん、って書かれたりもしてますね。)
問題提起はするけど、いつも「それでこの先どうなるの?」って答えは小沢健二は用意していない。今も連載が続いている「うさぎ!」には結末がない。
読むと「目から鱗」なことも多いけど、もやっとすることも多いと思う。
(続く、って書いてあって、次の号読んだら全然話つながってなかったりするからね)
で、「うさぎ!」で提示してる問題意識に対して
どうしたらいいの?って疑問に、小沢健二は「流動体」で
みんなが「宇宙の中で良いことを決意する」ことだよ、って言ってると思うんだけど、「宇宙の中で良いこと」って具体的にみえづらいんじゃないかと思う。
「宇宙」っていう対象があまりに大きすぎて。
「うさぎ!」を読んでる人や、ライブのモノローグ聞いたりした人はそれが何を意味するのかをイメージしやすいと思うけど、
(ライブ行けなかったり「うさぎ!」が読める環境にない、という人はCDで「我ら、時」を聴く、という方法もあります。
これは、新し目のCDにしてはそんなに音が良くないんです。
だから、音楽を鑑賞する、というよりモノローグを聴いてほしい、というのが小沢健二の意図じゃないかと思っています。
「我ら、時」に歌詞カードがないものそのせいかなと。
ですので、良い音で音楽を聴きたい、と言う人には向かないCDです。
逆にフリッパーズが探してみつけられなくて、今小沢健二がみつけた「ほんとのこと」って何か、を知りたい人にはおすすめ。)
ただ、この曲「流動体について」だけ、をいきなり聴いた人は、「宇宙の中でよいこと」を勘違いしてしまう可能性も高い。
人間の考える事ってほとんど勘違いでできてるから、そういう意味で「流動体」は危険な曲でもある。
小沢健二は、「流動体」について話してるとき、今自分には不安がない、世界が見えてるから、って言っていたんですけど、
不安がない、って言い切れる人って今の世の中でそんなにいないと思うんです。
先行き不安だなーって思ってる人が大半だと思う。
だってニュースなんか見てたら嫌でも不安になるよ。世の中悪い事しか起きてないように見えちゃう。
そんな中で小沢健二は、自分には不安がない、って言うんだけど、どうして不安がなくなったのかは言わない。
そしてぼくりりのアルバム「ノアズアーク」の特に9曲目の「ノアズアーク」や10曲目の「after that」は、小沢健二がはっきりさせないその辺を具体的にしちゃってるんですね。
(雰囲気だけ)
なので、ぼくりりのこのアルバム「ノアズアーク」を聴くと、小沢健二に不安がない、っていう理由がわかると思うんです。
そういう意味で「ぼくりり、よくやった」って感じなんだけど、
作ったぼくりり本人が本当はわかっていない。(笑)
それどころかちょっと誤解してるところもある。
ほんとは今の小沢健二が同じコンセプトで作ったらどうなったのか聴いてみたいんだけどな。
もうちょっとMellowになったのではないか。
(ヘビーメロウでせっかくMellowの使い方を覚えたので使ってみる。)
この記事書いたとき調べました。
ただ、小沢健二の現在の制作ペースを考えたら、1年とかそこらでは完成しなさそう。
ぼくりりは曲はトラックメーカーさんに投げちゃってるから時短になるけど、小沢健二は自分の手で作ろうとするだろうし、(弦のアレンジとかは服部さんに頼むと思うけど)
小沢健二も昔は、「曲はぽこぽこ出来るけど歌詞がなかなかできない」って言ってたことがあるけど、それは歌詞は真面目に書いてたけど、曲の方はいろいろ拝借してたからなんだよね。
今それはちょっとできないと思うから、それこそどれくらい待たされるんだろうって話になっちゃう。
それから小沢健二は書き物では本音をガンガン言っても、音楽ではあんまりはっきりしたこと言わないんですよね。
音楽の影響力の大きさをよくわかっているのと、それやるとポップじゃなくなっちゃうっていうのもあるかもしれない。
「流動体」はぎりぎりポップでしょう。(神とか出て来る割にポップすぎる)
ぼくりりの「ノアズアーク」は決してポップじゃない。(ポップじゃなくてラップだろとかいうツッコミはなしで)
ぼくりりの「ノアズアーク」は重い、っていう面でいうと「流動体」のほうが聴きやすいし、一曲の中で、リスナーに問いを投げかけているようで、同時に「これでいいのだ」(バカボン)って感じもしてくると思います。
なんとなく肯定的な気分にさせてくれる。
でもよく考えると、小沢健二の言ってる「神」って何? 「それほどの怖さはない」って、何を見てそう言ってるの?っていう疑問は出てくると思う。
(それについてはここに書きました。 )
「流動体」を聴いていて、それが未だ解けないという人は、ぼくりりの「Noah's Ark」を聴くと答えがわかるんじゃないかと思うんです。(ぼくりりの未熟さはちょっと置いておいて)
あ、この場合、ぼくりりが言ってる洪水=情報の濁流という矮小化された定義は一旦忘れて、「ノアの方舟」本来の、人類の滅亡と救済っていう、もっと大きい話と思ってください。
そんな感じで相互に補完するような関係なんです。この二つ。不思議なことに。
というわけで今の小沢健二が思い描いている世界がいまいち掴めなくて、もやっとする場合は、今のところ音楽では小沢健二そのものではなくてぼくりりの「Noah's Ark」を聴くのが一番早い、って結論になる。
ただぼくりり自身は何かを怖がってるようなんですね。そこは小沢健二と世界に対する理解の深さが違うせい。
だから、ぼくりりリスナーで「ノアズアーク」買ったけど、いまいちわかんない、っていう若い君たちには、小沢健二の「流動体について」を聴くといいよ、って言っておきます。
こっちの方がずっとわかりやすいから。
というか、ぼくりり自身、自分の言ってる事鵜呑みにしないでくれって言ってる。
それに信者は何言っても肯定してくれるから、放っとけばいい、とか、たまに喜びそうなこと言ってあげればいいかな、とか言ってて、ずいぶん突き放してるね。
信者はゾンビ、とも言ってる。でも一般的な中高生にそれ以上を求めるのは難しいと思うよ。
えっと、小沢健二の「流動体について」。
これ聴くと多分ぼくりりの「ノアズアーク」聴いてもわからなかったところもちょっとわかるようになると思う。ぼくりりが誤解していること、未熟さを補ってもくれる。
そういう意味でも「子供からお年寄りまで楽しめる曲を作ってる」って言ってた「オザケン」もここにまた帰ってきてるんだな、と思ったりもします。