ぼくりりのアルバム「ノアズアーク」の歌詞の意味[Noah’s Ark]編1
アルバムも残すところあと2曲。ここで「ノアの方舟」の登場です。
このアルバムのタイトルチューンでもあり、ハイライトともいえます。
ぼくりりはこの世界を生きて行く大人たちを観察して、だいたい二つのパターンがある、と思ったようです。
- 感覚を麻痺させて、痛みを痛みと感じずに過ごしている(Noiseful World)
- 現実を直視して、すべてを疑いうつうつとして過ごしている(Liar)
で、このどっちもいやだなー、と。
じゃあ他の方法ないかな、と思って探して来た答えが第三の選択肢、それがこの曲「ノアズアーク」で提示されています。
そういう意味で、この曲のテーマは、実は、小沢健二「流動体について」と重なるところがあります。
ですので、そのことに少し触れつつ意味を読んでいきます。
(ただ、物事の捉え方や解釈が多少両者で異なっているので注意が必要です。)
「流動体」に出て来る「神」の意味は何か、とか。
なので3回に分ける予定です。
「ノアの方舟」のお話は、多分どこかで聞いたことがあるかと思いますが、旧約聖書に登場する大洪水にまつわる物語。
簡単におさらい。知ってる人は飛ばしてOK。
神は堕落した人類を滅亡させるために大洪水を起こす計画を立てます。
神はノアという人を選び、洪水を起こす計画を告げるのですが、その時、ノアに方舟を作るよう命じます。
方舟に乗ることができるのは、動物のつがい一組づつ。そして、人間としては、「正しい人」として神が認めたノアとその家族だけ。
洪水は40日間続き、神は方舟に乗ることのできなかった地上の全ての生きものを滅ぼし、方舟に乗った動物たちとノアの家族は、洪水が引いた新しい地で生活を始めた。
以上
いろんなバージョンがあるみたいですが、旧約聖書の場合はこんな感じでいいかなと思う。
そして簡単にこの曲「Noah’s Ark」の概要を説明すると、
このままだと人類は滅亡する、そこから脱出する方法はこれだ、という内容です。
すごいでしょ。
それを踏まえて歌詞をみていきたいと思います。
歌い出しはぼくりりが頑張って(&エフェクトで)「神の声」みたいな雰囲気を出して歌っています。
ゾンビの群れ 眠れ
そうすれば全部無かったことになっている
「ゾンビの群れ 眠れ」
「むれ」「ねむれ」のリズムで始まります。
ゾンビの群れとは、このアルバム的にはクオリアを失った人々のこと、
クオリアは、ぼくりりは自由意志という意味で使ってるそうですが、感性としておきましょう。
眠ってしまえば苦しみも何もなかったことになっている
だから今苦しみに耐えられなければ感性を眠らせてしまいなさい、そのかわり、後には何もない空虚でくそったれな世界が待っているよ、と。
ちなみに個人的にはぼくりりが信じている自由意志ってほんとにあるのか疑問派なんです。
ぼくりり君みたいに若くて怖いもの知らずモードな時はそういうの信じられるのかもね。
どっちかというと「神の手の中にあるのなら〜(小沢健二/流動体について)」の方が世界を正しく見てると思っています。
あ、ここで小沢健二がいってる「神」っていうのは、神様、仏様じゃなくて、私的には宇宙・自然の摂理っていう意味で捉えてるんだけどね。
これまで「オザケン」が歌詞で歌っていた「神様がそばにいるような時間続く(ローラースケートパーク)」や「神様がくれた甘い甘いミルク&ハニー(今夜はブギーバック)」の「神様」とは違うけど、
天使たちのシーンで「君や僕をつないでる穏やかな 止まらない法則」って言ってたことと同じことを言っていると思っています。
そういう意味では一周まわって原点に帰ってきたのかなって感じで、そんなに変わったとは思わないです。はっきり言っちゃっただけで。
小沢健二も「天使たちのシーン」を作った頃は、本当にそう思ってるわけじゃないけど、今はそう思おうとしている、ということを言ってて、それが今は確信に変わったのかもしれない。
そこが変わったと言えば変わったのかな。
リピートされる節なので解説しておきます
海の中沈みゆくだけの瓦礫に
鳴り響く救いは届かない
大洪水の中で人類は滅亡し、二度と元に戻らない。
「瓦礫」とはぼくりり的にクオリアを失った人びとのこと。
つまり世の中のほとんどの大人がこれにあたる。
だからすごい皮肉を言ってるわけ。
感性を失った人々(大人たち)には何も聴こえず、大洪水の中ただ水の中に沈んでゆくだけ、救いの声が鳴り響いているのにね、と。
時間が限られていることを 知っていても尚 湯水のごとく垂れ流した
(中略)
頭に霞かかる 襲いかかる虚無感
全くもってその通りです。
ちなみに坂本龍一の「async」をイヤホンで聴くと「死」を身近に感じるのですが、
教授は「音」を通して、命には限りがあるんだ、時間を無駄にするなよ、ってことを伝えてるのかなって思っています。
コーネリアスが最近出した「いつか / どこか」で小山田がバイバイしてるのもそんな感じ。
(さよならさよならバイバイアディオス試聴に入ってる。)
この曲も面白い。話ずれるから一言だけ。なんかシュールだわ。後で「Mellow Waves」にも入る。
灰色の亡霊 抹消されずに
侮れ 籠の中で
ここまでぼくりり君は神モードで大人をdisってくれてます。
人生を切り刻んで売り渡して溺死
対価は感性を放棄する権利
これも皮肉です。
大人は人生を(会社・組織に)切り刻んで売り渡しているようなもの、
その対価として感受性を放棄している、「権利」っていうのはなんて素晴らしい、という揶揄。
つまりぼくりりは、感性を失いたくない、って思ってるんですね。
Suchmosの歌詞にもありました。
プライドをグラムで売れ それを買う奴に死ぬまで従え
「TOBACCO/THE KIDS
言葉の選び方に違いはあるけど、どっちもほとんど同じ事を言っています。
こんなおしゃれな音鳴らして言ってることこれだからな。
金が全てだ働けアリンコ
arlight/THE BAY
(ここはいいこと言ってるとこが聴ける)
ただ、これって一般人として社会で生きて行くなら仕方ないこと、適応だと思います。
感受性を放棄しないと社会で大人としてやっていけない、
それに気づくと生きて行くのが辛いから、見ないように、気づかないふりをして生きている。
Suchmosの方は、YONCEが働いてるところがつぶれて失業してる時に「働け」って言われてそれに対する反論としてして作った歌詞だから、このフレーズに重みがあるけど、(「うるせえ」とか言ってた気が)
その辺りの大人の辛さは、ぼくりりはまだあんまりわかっていない。
だから結構簡単に人を「哲学的ゾンビ」ってなじったりできる。
アンファンテリブルですよ、まじで。
ちょっと休憩入ります。