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ぼくりりのアルバム「ノアズアーク」の歌詞の意味[Noiseful World]編

Noah's Ark

 

ぼくりりのアルバム「Noah's Ark」の歌詞の意味[Noiseful World]編です。

 

この曲も2016年に出されたシングル「ディストピア」に収録されていたものの再録。
騒々しい世界、というタイトルと裏腹にアルバムの中ではゆったりとした曲調で珍しく「幸せ」なんて単語が頻出します。

 
でもこの「幸せ」も肯定的な意味ではなさそうです。

 

大袈裟に溢れた光と音が
僕らを選べなくさせてしまうから

 

主語は「ぼく」ではなく「ぼくら」です。
情報過多で情報の取捨選択が困難になっている今の状態

 

馴れ合いで麻痺した感覚が
全てを色褪せたものにして奪い去っていく


それに適応するために物事を自力で感じ取る力が奪われてしまっている。

こういうの嫌でしょ?って言っている。

微笑んで隣に座る君さえ
クオリアをなくした無機物に成り下がる

これは悲しいですね。
「shadow」では幻のようでも心奪われる存在だった「君」が、ここではクオリアをなくした無機物に「成り下がって」しまっています。


心奪われていたものに「無機物」「成り下がる」という言葉をあててしまうぼくりりの感性も残酷です。

もう感じない心 突き刺さる
言葉なんて今何の意味もなく 血が垂れる

「Be Noble」や「在り処」では鋭敏で傷つきやすかった少年の心も、
ここでは大人になったのか、感覚を失って痛みを感じなくなっているようです。
痛みを感じければ、重大な傷を負ってもそれに気づかず手当もされないままになってしまう
、つまり「血が垂れ」ます。

 

小沢健二が「うさぎ!」で「痛み」について書いていた章があったのですが、それを読むとわかりやすいかも。確か公式サイトで部分的に公開されていたはず。

→あった

うさぎ! 抜粋 第9話(2007年10月)より

全文を読みたい場合は、「うさぎ!」単行本、これもともとレアアイテムなので高値になってしまってますが、
東京なら都立中央図書館に「うさぎ!」単行本があります。借りられないけど閲覧は可能。
「うさぎ!」は小沢健二のお父さんの小澤俊夫さんの発行する「子どもと昔話」に連載されていて(まだ続いてます)
この号は多分「季刊子どもと昔話 第33号」に収録されていたはず。
ちょと手に入りにくい本ではありますが、取り寄せることはできます。バックナンバーは在庫次第で可能。
amazonに出てることもある。

何も知らないままで きっとぼくらは
ずっと流れてく
それでも幸せだったよと笑った

ここも主語が「ぼく」ではなく「ぼくら」になっています。
(またいつしかすり変わる一人称から三人称へ)
感覚を失えば、傷つくことがなくなる、痛みを感じなくなる、
何も考えなければ、悩む事もない、ただ流されるままに生きる、それを幸せと呼んでいるのかもしれない。

騒々しい世界では、ある程度目や耳を塞いで、感覚を鈍くしないと生きていけません。
感覚を鈍らせて、本当の事を知らないまま、わけがわからないまま、これが幸せなんだと感じて生きている、そんな多くの大人たちの現状をやわらかく批判しているようです。

この曲は浮遊感があって割と聴き心地がいいのですが、
聴き心地良く、中身が辛辣、っていうのはジャミロクワイの「Virtual Insanity」 Suchmosの「StayTune」と共通した作り方です。

 

STAY TUNE

STAY TUNE

 


割とあっさりだけどこの曲はこんな感じでいいのでは。次の「Liar」には結構色んな意味があるようなので。

Noah's Ark

Noah's Ark

 

 

 

 

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