ぼくのりりっくのぼうよみ「ノアズアーク」から見る「SKY’s the limit」の意味/小沢健二流動体,我ら、時
さて、まだ残っている話がありました。「Noah's Ark」の話を始めたのは「SKY's the limit/つきとさなぎ」があったからで、そこ始まった話を閉めないと。
(この話始めたのってまだ梅雨始まってなかった頃・・)
ちなみに「SKY’s the limit」って、可能性は無限、みたいな意味です。
「SKY's the limit/つきとさなぎ」で、繰り返しでてくるこのフレーズ
わたしが輝く
We are beautiful
ここで日本語の主語は「わたし」なのに、英語の主語は「私たち」になっている、という話を書きました。
聴こう。
(ちょうどわたしが輝くWe are beautifulが聴ける)
ちょっと不自然ですよね。
別にここはWe are ではなくてYou areでもよかったと思うんです。でもWe areにした。(わたしが、だけど、I amだとナルシストになるね)
この「We are beautiful」がぼくのりりっくのぼうよみ的に何を意味しているのかは、アルバム「Noah's Ark」を聴くとわかる、ということを書いたのですが、ここまででその答え、わかったでしょうか。
歪な僕らは歪なままで進んでいこう
(after that/Noah's Ark)
これが「Sky’s the limit」で言う「We are beautiful」の真意かなと思います。
いびつなままでいること、つまりちょっとはみ出していても、人間が人間らしくいられること。
それが美しいってこと。(だからみんな美しい)
これは個人的な解釈で、ぼくのりりっくのぼうよみ公式にはインスタやSNSで自分を盛ることを肯定したくて作った、と言ってます。
「飾らないものはない」とかそういうフレーズは確かにあるし、ぼくりりもツイッターで、必要以上にばかっぽい感じや子供の自分を演出してるから、そういう意味で(逆に)盛ってるのも事実かな。
でもこう考えた方が、この曲が豊かに聴けるようになるから、そう思って聴いています。
(どっちかっていうと、小沢健二が「うさぎ!」で書いてることに近いかもしれません。)
ぼくのりりっくのぼうよみも、自分の言ったこと鵜呑みにしないでくれって言うなら、聴き方を限定するようなことを言わなければいいのに、と思っていたんだけれど、フォロワーの数で偉そうにしてんな、とか言われてこう言ったのかもね。
今年小沢健二さんがシングル「流動体について」を突然リリースされましたよね。
(なぜか突然のさん付けの尊敬語)
おそらく世界観や言いたいところは「流動体」とぼくのりりっくのぼうよみの「Noah’s Ark」は同じではないかと思って、
おぼ同じ時期にこういう曲・アルバムがリリースされたことに、ある意味「流れ」を感じたのがこの記事を書き始めたきっかけでした。
(思えば遠くへきたもんだ)
ただ、ぼくのりりっくのぼうよみがちょっと勘違いしてしまっているかも、ってことにも気づいたので、全く同じではない、ぼくりりはむしろパーフリ的状態を抜け出したくて足掻いてる時期に、何かを見つけてしまって、その思いつきから勢いで作ったものに近い、とうことは補足します。
ぼくのりりっくのぼうよみも小沢健二と同じようなところを目指してはいるんだけど、ぼくりりは自分がそれを目指せる位置にまだ到達できていないのではないかな。簡単にいうとまだ子供なんです。
でも子供だからこういうの作れちゃった、っていうところもあって、そこがこのアルバムをどう位置づけたらいいのか難しいんだけど。
だからパーフリ時代の小沢・小山田的感性の子が、色々飛び越えちゃって、今の小沢健二がやろうとしてることをはっきり形にして出しちゃった作品、
それが「Noah's Ark」
と思ってもらうとわかりやすいかも。
(パーフリって言われてたの当時しらなくて使ったことなかったけどだんだん使いたくなって来る何故)
つまり小沢健二が
「流動体について」
でも
「我ら、時」でもはっきりさせてくれないものを、ぼくりりのこのアルバムは補完してくれてるのです、期せずして。
ぼくりりはツイッターで「ノアズアーク」について「このアルバムはライブやって初めて完成するのでぜひライブに来てほしい」と言っていました。
つまり、「僕ら一緒にノアの方舟に乗れる方、世界が変わった後で生き残れる方になろうよ」と言いたいのではないでしょうか。
小沢健二もライブやるときは近年は、モノローグ半分、音楽半分です。
というか、モノローグを引き立たせるために音楽を使っている、という感じもします。
それについては、音楽で釣って自分の言いたい事聞かせるのやめろ、みたいな意見もあるみたいで、小沢健二も「音楽だけ聴きたい、っていうファンは誠実なようで、そのアーティストの可能性を狭めることを言っている」ってどこかで言っていました。
(多分ブログかひふみよの中を探すとあると思う。)
Kenji Ozawa 小沢健二 Official Site ひふみよ
小沢健二は、もうただのミュージシャンじゃなくて、吟遊詩人みたいなものなので、今それを求めるのはやぼかなと思っていて。
小沢健二の「流動体について」を聴いて、何か「もやっ」としたものを感じる人は、ぼくりりの「ノアズアーク」を聴くと、今の小沢健二が見てる世界や、やろうとしてることがちょっと具体的にイメージできるんじゃないかと思います。
今の小沢健二を音楽を通して知るには、小沢健二そのものじゃなくてぼくりり聴いた方が早い、っていうのもおかしな話なんだけど、
小沢健二が大人になってしまって、音楽ではその辺はっきりさせないのと、ぼくりりが子供の勢いでえーいって「Noah's Ark」出しちゃったので、そんな状態になっちゃった2017年。
で、リリース時期ですけど、
こうして見ると、「ノアズアーク」リリース 時期は「流動体」が出る1ヶ月前、ってことがわかります。
でもほぼ同時期といっていいのではないでしょうか。
ほんとは小沢健二がこのコンセプトで作ってくれたら、って思っちゃうけど、小沢健二は書き物ではガンガン言っても、音楽ではあんまりはっきりしたこと言わないんですよね。
だからやらないだろうな、と思います、たぶん。
音楽の影響力の大きさを知ってるのと、それやるとポップじゃなくなっちゃうっていうのもあるかもしれない。
(Eclecticとか、Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学とか出してみたけど、結局は大衆音楽に戻ってきたみたいだから)
「流動体」はぎりぎりポップでしょう。
(神をポップにしすぎてて、これ聴いてるとどうしてもそこで笑いが出ちゃうのと、聴いてて、ま、いっか、って気分になる)
ま、いっか、って言ったらこれなんですけど、解る人いるかな。
ブギーバックほどではないけど、ブギーバックの後ちょっとしたラップブームみたいなものがあって流行りました。試聴にサビ入ってないからわかりにくいけど。
「ノアズアーク」は決してポップじゃない。(ポップじゃなくてラップとかいうツッコミはなしで)
小沢健二が本音の書き物を載せてるのは、ホントに読みたい人じゃないと読まないような媒体だけど、音楽だと空気のようにどこにでも流通しちゃうから、その辺に自制があるのかもなと思います。
それと、小沢健二の書き物の方は「流動体」とはまたちょっと違う世界です。
寓話形式ではあるけれど、ある意味ノンフィクションです。
なので、それはそれで興味深いけど、実際には「今の世界」の話であって、「今と全然違う世界」の話ではありません。
だから「流動体」を聴いて湧いた疑問は小沢健二の書き物を読んでも解けないだろうなと思います。
だから、あくまで音楽が好きで、小沢健二が「流動体」や「我ら、時」で小沢健二が「想像」している「今と全然違う世界」って何なのかをもうちょっと知りたいって場合「Noah's Ark」ちょっと聴いてみたらどうかな?
もやっとしてたものがすっきりするかも、って感じです。
実は、SuchmosのYONCEも、小沢健二やぼくりりの「ノアズアーク」で描いてる世界が起きる、って言ってるんです。
それがこの記事
新曲の「OVERSTAND」聴いてもそれはほんのり感じます。
これがわかると、意味不明だったSuchmosの歌詞で色々わかることもありますよ。
で、ぼくのりりっくのぼうよみみたいなコンセプチュアルなことはやらないんですが、歌詞を見るとぼくのりりっくのぼうよみより、世界を理解しちゃってるな、っていう歌詞を書く同年代の子がいたんです。
知ってる人は知ってると思うけど、私は知らなかったので、そのうち書くんじゃないかと思います。
ただ、もう、ぼくりりの時ほどがっつり書けないかも。
音楽の話始めた当初の目的は達成したと思うし(ぼくりりのところで結構色々書いたし)、もう暑いし(笑)
そういえばフジロックで小沢健二のステージ入場制限かかったみたいですね。
しかもホワイトステージで入場規制ってすごいな。
山下達郎が歌うKinkiKids硝子の少年とダブテクノ(ベストアルバムOPUSより)D.A.N.MVと小山田米呂
ちょっと前のCDだけど、これいいんです。
山下達郎さんてキャリア長くて、同年代のリアルタイムな人ならずっと聴いてこれたと思うんですけど、世代じゃない人には、作品がたくさんありすぎて全部聴けないと思います。
なのでまずこれ聴いてみたっていう感じです。
山下達郎さんて、「クリスマス・イブ」が有名すぎて、そのイメージだと、冬、って思ってる人多いかもしれないです。
でも達郎さん夏っぽい歌が多いので、どっちかというと夏に聴くのに良いアルバム。
曲も時系列で並んでいるので、時代の変化と達郎さんの変化がわかります。
(Knki Kidsの「硝子の少年」の原型かなって曲もあります)
わたしが好きで良く聴くのはとんがってる1枚目と、ちょっとポップになってくる2枚目です。
声や歌い方もその頃のが好きみたいですね。
OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(通常盤)
- アーティスト: 山下達郎
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2012/09/26
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で、山下達郎はだんだんポップスから歌謡曲よりになってくる感じがするのですが、3枚目の良さがわたしにはまだよくわからないです。(笑)
あ、ドーナッツソングは好き。
2枚目までは色々実験的なこと(といってもポピュラーミュージックの範疇で)をやってみてるのですが、それが全部、時代より早すぎるんです。
3枚目になると、そういうのがなくなってきちゃうので、わたしとしてはちょっと残念。
で、普通に聴くなら通常盤でいいかなって思うんですが、初回版にはボーナス盤の中に山下達郎さんがKinkiKidsに書いた「硝子の少年」を山下達郎が歌ったデモ版、っていうレア音源が入っています。
OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)
「硝子の少年」を山下達郎が作った、っていうことも、最近まで知らなかったんですが、これが面白いんです。
kinki kidsに書いた「硝子の少年」を山下達郎が歌ってる、これが何とも言えないメロウな感じ。
それでこれの何が好きかって、バックトラックをイヤホンで良く聴くと、ダブテクノみたいなことやってるんですよね。
アイドルに書いた曲なのにダブテクノってマニアックなことやってる(笑)
kinki kidsの「硝子の少年」はもちろん聴いたことあります。
でも、テレビでkinki kidsが歌ってるのを見たりしてただけで、CDとかイヤホンで聴いたことはなかったんです。
山下達郎がこの曲を歌ってる、っていうのも面白いんだけど、イヤホンで聴くとバックトラックから聴こえる「チキチッ」っていうサンプリング音が気になって気になって。
ジャニーズとダブテクノっていう組み合わせが衝撃的。
ただ、わたしが聴いたことがあるダブテクノの中ではちょっと音が雑っていうかちょっとチープなのかなって感じはあるんですが、
達郎さんもこの曲の仕上がりが不満、って言ってるらしくて、それはもしかしたらこのサンプリング音のことなのかもかなって気もしています。
で、これ聴き終わるともう一回リピートしたくなるんです、なぜか。
それは多分「チキチッ」のせいなんです。
ダブテクノ、って、なんかもうちょっと聴いてたい、って気にさせる音楽なんです。中毒性が高いというか。
そういえば、ダブテクノに歌が乗ってるっていうのもあんまり聞いたことないし
(ah とかuh みたいな声が入ってるのは聴いたことあります)
山下達郎が歌うと、kinkikidsが歌ってる時聴こえて来なかった歌詞が響いてきたりします。
この「チキチッ」のせいで終わった時に「え、もう一回聴きたい」ってなるから、歌ものにダブテクノを取り入れてみる、っていうのも面白いんじゃないでしょうか。
ただ、達郎さんでさえ満足いくものが出来なかったらしいので、付け焼き刃でできるものでもないかもしれないですが・・・。
ちょっとダブテクノと近いことしてるかなって人をあげるとしたらD.A.Nかな。
こんな感じ。一曲が長いのも似てる。
ダブテクノはドラムの音はしなくて、打楽器の音がもうちょっとシルキーな感じだったり、ぼかした音になってるので、もしドラムがシルキーだったらダブテクノに近い。
そういえば、D.A.N.のMVに小山田圭吾の息子の小山田米呂がキャストで出演しています。このMVも映画みたいで。
D.A.N. - SSWB (Official Video)
髪型がセンターパートのツーブロック(ショートボブみたいな髪型)の子が小山田米呂だと思います。かわいい。
小山田にはあまり似てなくて母親似みたいね。
(小山田も若いときはかわいかったんだよおおお)
あと、達郎さんにはちょっと面白いアルバムが出ます。
これの2は聴いたことあるんですけど、山下達郎の夏の名曲を、小林克也のDJで繋ぐ、っていう企画盤みたいなものです。
DJっていうのはクラブじゃなくてラジオの方の。
ただ、2は山下達郎非公認だったのですが(大人の事情ってやつで元いたレコード会社が遺産を利用して勝手に作ってしまったらしい。版権を持ってるから合法ではあるんだと思いますが、コアなファンの皆様からは敵視されているアルバム。でも選曲のセンスはいい)
それが晴れて公認でリマスタリングされるみたいです。
選曲は山下達郎夏のベストアルバム、っていう感じなのですが、ベスト盤とどう違うか、っていうと、ベストアルバムって、名曲が、これでもか、って詰まってるわけですよね。
だからベストアルバムには「間」がないし、聴いてて疲れることも多いです。(わたしの場合)
アルバムだと「捨て曲」って呼ばれる曲も、息抜きの役割もあったりするかな、と思っています。(捨て曲があるより、インストゥルメンタル入れる方が好きですが)
で、これは選曲がベストアルバム的ではあるんだけど、曲と曲のあいだに「間」がある。
小林克也のDJが英語なので何言ってるのかはわからないけど(曲紹介してるんだな、っていうくらい)
曲と曲の間をトークで絶妙につないでくれるので、名曲がこれでもかとぎゅうぎゅうに詰まったベストアルバムよりこっちの方がさらさらと聴きやすい、という違いがあります。
CMなしのハイテンションな英語のラジオから山下達郎の曲が流れて来る感じ、って言ったらいいかな。