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ぼくのりりっくのぼうよみ「ノアズアーク」アルバム歌詞解説目次とレビュー(フリッパーズギターとの比較)

 

Noah's Ark

スカイズザリミットから始まって途中でフリッパーズやら小沢健二やらSuchmosやら挟まって長くて複雑になったので、ノアズアークに絞ってアルバムの構成要素を簡単にまとめてみた、目次的なページを作りました。後ろにコメントとフリッパーズとの比較を書いてます。(長いのである程度時間ある時に)

 

日付見たら、最初にこの記事書き始めたの1ヶ月前・・・一応(ほぼ)毎日一記事は上げてたのですが、色々浮気したのと(こればっかりでも飽きるでしょ)

Mellow Wavesって超大型爆弾投げ込まれて色々狂っちゃった。

あ、最初の頃から読んで下さった方、ありがとうございます。

 

番号は、アルバム内のトラックナンバー
()内は誰目線か
「ぼく」はぼくりりが設定した主人公、「ぼくりり」は本人。

 

Noah's Ark」構成

1.Be Noble - 葛藤とそれを乗り越える意思表明(ぼく・ぼくりり)

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2.Shadow - 色気(ぼく) 

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3.在り処 -苦悩(ぼく・ぼくりり)

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4.予告編 -予告(ぼくりり)

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5.Water boarding -Noah’s Ark edition-ディストピア」と「ノアズアーク」の二重構造の提示(混在) 

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6.Newspeak -世界の現状理解(メタ+ぼくりり)

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7.Noiseful World -第一の選択肢(メタ) 

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8.Liar -第二の選択肢(メタ+ぼくりり)

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9.Noah's Ark -人類の滅亡と警告(ノアの方舟の現代的再解釈の音楽的提示・小沢健二流動体について」との相互補完関係)

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10. after that救済(メタ・ぼくりり+小沢健二流動体について」との相互補完関係)

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こんな感じ。たぶん。
アルバムの中の「ぼく」を、ぼくりりが作った架空の人物とみるか、ぼくりり本人と見るかで見え方が変わりそう。(多分両方)
ぼくりりが作った主人公「ぼく」も、アルバム内の「ぼく」を全て同一人物とみるか、別人と見るかでも見え方が変わりそう。

 

ノアズアーク」の総評


(えらそう→)着想はすごい、構成も見事。表現にも光るものがある。けど、壮大なテーマを選んでしまったことで、まだちょっと自分の中で咀嚼しきれていないところが気になる。
(10代の小沢健二と比較してるから厳し目でごめんよ。ただ、等身大の歌を作ってないからこうなる気もする。
そういう意味ではファーストアルバム「hollow world」の楽曲群の方が共感を呼べるかもね。)

 

感想(辛口)

何となくだけど、ぼくりりには、自分でも気づいてないか、気づかないふりをしているのか、本音を見せないようにしているところを感じるんですね。


ぼくりりは曲を出すとき「テーマはこれこれこうです」って公式に言ってることがあっても、それだけじゃないような気がして、公式見解で逃げ道を作っているように見えることがある。

(その割に自分の話を鵜呑みにするな、と「信者」を見下してるところもあるのが矛盾してると思う)

 

その点Suchmosとかもうちょっと年齢上がる兄さんたちだけど、すごく正直で素直なものをぶつけてくる(特にYONCE)。
だからそっちの方が信用できる感じ。


ぼくりりのやっていることは、難しい単語使ってみせて一見すごそうに見えるんだけど、中身はちょっと軽い。

つまり、皮肉になっちゃうけど、Suchmosが「もうGoond Night」してる「広くて浅いやつ」になると思う。広くて浅くても、間違ってなければいいんだけど、それもそうでもないのがちょっと困ったところ。

(ぼくりりとSuchmosっていうと、レーベルがHSUTAIHEIがいるSUNABAGUN.と同じなのね。

SUNABAGUN.にとってぼくりりは目の上のたんこぶみたいな存在だろうし、だから「STAY TUNE」では、ぼくりりも「Good Night」されてる気がする。

ちなみに「STAY TUNE」の歌詞はYONCEとHSUの共作、ってことになってます。)

 

軽いのはフリッパーズも軽かったけど、「広くて浅い奴」ではなかった。どっちかっていうと軽いけど、広くて、深いやつ。

だからとっくに解散した過去のバンドだけど、アメリカの音楽レビューサイトでも2016年時点で彼らの存在は認知されてる。OyamadaはKenji Ozawaとレコード屋巡りをして色んな音楽・映画を聞きまくってたことも知られてる。

メロディーは「卸売り」って書かれてるけど、それにもかかわらず「日本の音楽の良心に数多くの音を送り込んだ」って。(つまり、アレンジとリリックの良さを暗に褒めている)

 

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これも皮肉になっちゃうかもしれないけど、ぼくりりが「ノアズアーク」で言ってる「生き残れる方」「生き残れない方」でいったら、
YONCEみたいな人が「生き残れる方」で、ぼくりりみたいな人はこのままだと「生き残れない方」になるんじゃないかな、と思ってしまう。

フリッパーズが解散したみたいにね。

 

小沢健二の「流動体」聴いて、この子が目指してるものって小沢健二のそれと似てるかもとふと思ったのですが、
ぼくりりは、今の小沢健二よりまだ世の中のことがずっとわかってない。
そんな時期に「ノアズアーク」みたいなものを出しちゃった。


半ば確信犯的に、半ば無自覚に。

 

若いから世の中のことが解っていないのは当たり前だし、今はそれでもかまわない、だからこそ、ちょっと世の中のことがわかってきた時に、自分が世の中に出してしまったものの大きさに怖くなるかもしれないな、と思う。

 

小沢健二フリッパーズ飛び出して、子供の自分にさよならしたけど、それから大人になるのにすごく苦労したと思うんですね。


フリッパーズ解散してから二人とも沈黙期間があるんだけど、小山田にも迷走期間あるし、小沢健二も似合わない「俺」って主語を歌詞に使う時期があったり(結局また僕に戻る)、そうやって自分で足掻いてやっと大人になった。みんなそう。

ぼくりりも大人に話を聞いて回るのは一つの方法だと思うんだけど、ぼくりりの質問に答えてくれてる大人達はみんなやさしいね。
そして、ぼくりりが本当に知りたいことは、教えてくれないと思う。
まず何を知れば良いのか、ぼくりり自身わかっていないような気がする。
それに、人に聞いたからわかるってものでもなくて、自分の答えは自分で足掻いて探さなきゃならない。
でも話を聞きたい相手に聞きに行ける今の立場を、最大限活用したらいいじゃない、と思っている。

 

ぼくりりはまだ10代だ、っていう点で、「すごい」って思われてるところがあるし、
ノアズアーク」っていう壮大なテーマを選んでしまったところでまた「すごい」って思われてる。(でも来年には10代でなくなるね)


でも大きな器を選んでしまったが故に、そこにまだ中身が伴っていないところが露呈してしまった感じがするのね。

盛りつける料理を何にするかを考えるより先に器を選んでしまったんだけど、その選んだ器が立派すぎちゃった。
それで、色々盛りつけてみたけど、食べて見ると肝心の料理がちょっとさみしい。
でもこの器そのものは、もしかしたら将来骨董品になるような価値があるかもしない。
この作品を今評価するとしたら、そんな感じ。

あ、「shadow」と「Be NobleBe Noble (re-build))」気に入ってるよ。

Mondo Grossoラビリンスとセットで)

 

ただし、このノアの方舟の現代的解釈を「音楽」という媒体で表現した、ということにはとても大きな意味があると思います。


それによって、こういう世界観がある、っていうことが不特定多数の人に認知される、っていう可能性が広がったことになるから。


ただ、それにはぼくりりがちょっと力不足だった感は否めない。

でもその力量がある人、っていうことになるとやっぱり大人になるけど、大人はおいそれとそこに手は出さないわけ。


でもぼくりりが子供でかつメジャーレーベルに在籍、というちょっとした力を使える立場になっていた、そういう偶然が重なってこんなアルバムが出来てしまった。
そういう意味で凄い作品。

 小沢健二が「我ら、時」で言ってる、でもそれがどんな世界かはっきり言わない、想像上の「今と全然違う世界」をはっきり具体的に提示してしまってる。(「我ら、時」の話も後で書く予定。どうしてラブリーの歌詞書き換えたのか、とか)

 

ぼくりりが「天才少年」と言えない年齢になった時、あるいは今の声を失いかけたとき、
その時ぼくりりがどうするかがとても気になる。
小沢健二小山田圭吾みたいに自分の美学を貫くのか(その彼らだってパーフリ時代は結構ひどい)
それとも「枯れ果てたcitationを垂れ流す(つきとさなぎ)」ようになるのか。

楽器が一つも弾けない、音楽を深く聞き込んでない、という点で、そもそも音楽がそこまで好きなのかも含めての話になるけど。

Noah's Ark」を骨董品にするかガラクタにするかは、これからのぼくりり自身にかかっている、と思う。


だからがんばれ。

 

 

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