カローラ車2017CM曲でジャミロクワイVirtualInsanityリバイバル【試聴】小沢健二(流動体)との関係が絶妙
トヨタカローラフィールダーCMソングですが、2017年10月から、ジャミロクワイの『Virtual Insanity』が使われるようになりました。(珍しく早めに気づいたよ)
ジャミロクワイの『Virtual Insanity』って、音が近未来的な雰囲気なのですが、「この世界はもうVirtual Insanity(仮想狂気)だ、まるで地下にいるみたいに何も聞こえない。テクノロジーなんてそんなのもう忘れちゃいなよ、そんなものなくたって別に悪くないよ、それよりも愛を忘れてるのが問題だよ」って、文明批判しているのです。(いろんな訳し方があるけど一例として)
ですが、だいたいが先進技術や、文明の利器と思われる商品のCMに使われてしまうのは音のイメージからなのでしょうか、Future とか Technology って単語もきこえるし。
これまでCMに使われたのは記憶している限り
・今はなきソニーのMD
・ソニーの企業CM
・日新カップヌードル
・・・あと何かあったかな。
とにかく'90年代には色んなパターンで流れまくりました。
それで今年あたまあたりから車のCMの曲にサチモスが使われたり、ナルバリッチが使われたりしています。
いまの車のCMソングのトレンドは「アシッドジャズ」ということになっているのかしら。
そして、トヨタカローラフィールダーは20年前のジャミロクワイの『Virtual Insanity』に落ち着いた、一周まわって原点回帰で、というところなのでしょうか。
ジャミロクワイの『Virtual Insanity』試聴
これはベストアルバム(シングル集)からです。ちょっと短いので、もうちょっと長く聴きたいときはApple(iTunes)のサイトへGOしましょう。
初めて聴い人からしてみたら、今年の曲だと思ってもおかしくないような気がします。
今の若い人は、これ聴いたら「サチモスっぽい」って思うのかな。
サチモスのルーツミュージックがこういう曲たちなのです。
『Virtual Insanity』収録アルバム
『Virtual Insanity』っぽい、こういう感じの音楽が好きだよ、っていう初めて聴く人は、ジャミロクワイを聴いてみたらいかがでしょう、ベスト(シングル集)なら外れがないです。こんな感じの曲がたくさんあります。
アルバムで聴きたいときはここに入っています。
「トラベリング・ウィズアウト・ムーヴィング?ジャミロクワイと旅に出よう?」デビュー20周年記念エディション
- アーティスト: JAMIROQUAI
- 出版社/メーカー: Sony Music Japan International Inc.
- 発売日: 2014/05/12
- メディア: MP3 ダウンロード
- この商品を含むブログを見る
この曲の歌詞は、結構クレイジーですよ。
(ただしこの現実が「正常」と考えるなら、ですが)
20年前にジャミロクワイのケイはこの曲で「(その当時の)未来」に警鐘を鳴らして、
曲はとてもヒットして、聴かれたし広まったけど、彼が鳴らした警鐘、メッセージまではその時はあまり届かず、彼が危惧した状態(仮想狂気でできた未来)がとうとう実現してしまった・・・・
というのが2017年という今日現在、という感じがします。
I can't see
I can't breathe
No more will we be ーVirtualInsanity
対訳
何も見えない
息ができない
これ以上生きられない
でも、だんだんそれに疲れきってきて、それにうすうすでも気づいてきて、このままじゃいけない、って思う人は、そのときよりは増えたような気がしています。
(その時若かった、わたしが年取った、っていうのもあるけど、そういうことを書いた本も色々出るようになったでしょう。
たとえば、「サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福 」とかね。)
しかし、この2017年にまたジャミロクワイの『Virtual Insanity』がテレビから流れることで、若い人がこの曲に興味を持ってくれて、「こんなことが言われてたのか!しかも20年以上前から!」と思ってくれたり、
大人も単に「懐い」だけじゃなくて、これって何を言ってたんだっけ?と思ったりして、音楽から、改めてそういうことを考えるきっかけにする人がちょとでもいいから増える・・・といいのにな。
2017年の今改めてこの曲がCMに使われるようになった意味をちょっと考えてみたりもします。
で、ここからは車のCMやジャミロクワイからちょっと話がずれます。
20年前にジャミロクワイが投げかけた問いに対して2017年にある日本人が出した答え
さっきの引用、『Virtual Insanity』の一節です。
(和訳byわたし)
I can't see
何も見えない
I can't breathe
息ができない
No more will we be
これ以上生きられない
こう続いてます。
And nothing's gonna to change the way we live
対訳:そしてこのやり方を変える方法がみつからない
Hard to know where to begin
対訳: どこから始めたらいいかわからない
つまり、ジャミロクワイは、『Virtual Insanity』で問題提起はしているのですが、答えについては、どこから手をつけたらいいかわからない、僕一人じゃどうにもできない、と言っているように聞こえます。
ですが、20年後の2017年になって、この問いについては、ある日本人から「音楽」という形で一つの答えが出された、ように思います。
神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらい ー小沢健二 流動体について
無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意する時に ー小沢健二 流動体について
試聴リンク
つまり、ジャミロクワイが『Virtual Insanity』で嘆いたような状態に、これ以上ならないために、何をしたら良いか、
それは、一人一人が「宇宙の中でよいこと」を考えて、それを実行することだよ、と言っているように思いました。
そんな感じで(本人は全く意図していないと思いますが)『流動体について』は聴き方によっては『Virtual Insanity』のアンサーソングのようにも受け取れなくもないです。
だから「紅白」内定で、この曲が世界中の電波に乗れ、と思っています。
ガラパゴスな日本語じゃ伝わるかどうかわからないから、英語の字幕もつけて。
ジャミロクワイの『Virtual Insanity』もほぼ20年ぶりに日本に帰ってきた感じだし、小沢健二も19年ぶりに精力的に活動しだすし、不思議なシンクロニシティを感じた2曲でした。