ぼくりりのアルバム「ノアズアーク」の歌詞の意味[Noah’s Ark]編2
ぼくりりのアルバム「ノアズアーク」の歌詞の意味[
]編の続きです。
この曲は、どちらかというとこれから書く後半に重要なメッセージがある、と思って聴いてください。
これ聴いてるとだんだん辛口になってきちゃう。
あと小沢健二と「流動体について」との関係をちょっと書きます。
前回の記事
曲はこんな感じ。
濁った心を水が飲み込んだ
Noah's Ark 扉が閉まった音がした
あ、閉まっちゃいました。
音がしたあーーーーー----ぁっ(裏声)て歌っています。
形を持たない 望みだけが消えた
ここは実際に音を聞かないとわからないかも
「形を持たない」ってところがエコーかかってます。
世界を飲み込む情報の濁流
ここはぼくりり公式見解通り、情報の濁流=洪水、それが世界を飲み込むさまを描いています。
情緒不安定が闊歩する悪夢
情報に惑わされて人々は情緒不安定になり
摩耗する感覚と台頭するDark moon
多すぎる刺激で感覚がすり減っていく
Dark moonは、月が地球の影に隠れて完全に見えなくなっている状態。
厚い雲に隠れていく
つまりほんとうのことが見えなくなっている状態をさしています。
波に飲まれ藻搔(もが)いている
機能しない思考を止める
洪水が押し寄せてきて波に飲まれもがいているときに思考は機能しません。
でも、思考を止めると見えてくるものがあります。
人々は二分され行く
朝を迎え目覚める者
夜の中で眠りにつく者
ここはすごいこと言っている。
洪水の中で人々は二分される。
「朝を迎え目覚める者」すなわち、思考を止めて直感に従った人
「夜の中で眠りにつく者」すなわち思考が止まって直感も失った人。
後者は冒頭で出た「ゾンビの群れ眠れ」。彼らはそのまま本物のゾンビになる。
ところで、旧約聖書の「ノアの方舟」に乗れる人間はノアの家族だけと決まっていました。
ですが、ここでは方舟は形を持たない、と定義されています。
なので本物の方舟のように「定員○名」というものがありません。
形を持たない救済の船
つまり、思考を止めて直感に従った人は方舟に乗る事ができる
(「朝を迎え目覚める」)
思考が止まって直感も失った人は救いの声に気づかず、救済の方舟があることに気づかない。
(「夜の中で眠りにつく」=目覚めることない永遠の眠り)
新たな場所で生き残ることができるのは前者であり、新しい地ではその人々は大空を駆ける鳥のように羽ばたける。
間もなくその分岐点がやってくる、と言っています。
間もなくやってくる分岐点
だからこれはものすごく大それた話なんです。
世の中のことそこまでわかってないぼくりりが言っていいことかどうか疑問が残るのね。
それに、助かりたいなら思考を止めろ、って言ってるけど、思考・ロジック使って曲作ってるのって、ぼくりり自身じゃない?っていう矛盾もここにはある。
レゾンデートル喪失の後の
生存 全能 全肯定の歪んだパラレルワールド
難しい単語だけど同じ意味の繰り返しです。
全てが代替可能なものに置き換えられるようになってしまった時代、そんな歪んだ時代で人々はゾンビのように時を消費していく。
時を浪費していくゾンビ軍団
形を持たない救済の船
この救済の舟は形を持たない、だから定員はないし、選ばれた人だけが乗る事ができるものでもない。
誰もがそれに乗れる可能性がある、とも言える。
死にたくなければ夢中で遊べ
もしこの方舟に乗りたければ死ぬ気で遊べ、それが助かる方法だ、と言っています。
で、小沢健二は「流動体について」でこれと同じことを「宇宙の中で正しいことを決意する」こと、って言ってると思うんです。
生存 全能 全肯定の歪んだパラレルワールド これがちょっとよくわからないんだけど、
SNSで誰かがアップしたものなんでもとりあえず「いいね」してるのを「全肯定」
SNSで自分を盛ることで「なりたい自分」になれちゃうことを「全能」
それは歪んでるし、現実じゃない=バーチャルリアリティだから、
ネットの中に作り出した幻想の自分の世界を「歪んだパラレルワールド」って言ってるのかな。
これって全部ぼくりりがやってることだし、
そうすると「スカイズザリミット」はSNSとかで自分を盛るのを肯定したくて作ったっていう公式発言と矛盾しちゃうね。
(これはこれで良い曲だ)
あ、気づいてるか気づいてないかだけで自己矛盾は誰でも抱えてるから、ぼくりりを責める意図はないです。
薄れて溶けた意識の中で 目覚めると砂に包まれていた
滲んで消えた意思が戻っていた
ちゃんと助かるんだと言っています。(信じるか信じないかはあなた次第)
ぼくりりは自由意志教の信者だそうなので、「意思」が大事、って思ってるみたいですね。
そこはちょっと意見が違うんだけど、いちおうぼくりりを尊重して「意思」ってことにしておきましょう。
意思が戻っていたから助かったのか、助かったから意思が戻ったのか、そこは卵が先か鶏が先かみたいな話。
方舟の中
ここは演技しながら歌ってます。「は こ ぶ ね の な か」とか。
襲いくる洪水は全てを浮き彫りにして今消えた
やがて大洪水は終わり、朝を迎えます。
そこでこれまで意味がわからなかったもの全てが明らかになります。
その時、これまでDark moonに隠されていたものもはっきり見えるようになります。
つまりほんとうのことがわかる、と言っているのです。
フリッパーズギターの場合、ずっとほんとのことが知りたくて、嘘っぱちのなか旅にでて、でも最後までそれはわからなかったんです。
ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり
ドルフィン・ソング /ヘッド博士の世界塔
(嘘っぱちの中旅にでて、イルカが手をふって)
でもぼくりりはそれがわかってるみたいに「Noah's Ark」って曲を作って、「after that」ってその後の世界まで描いちゃってる。
(でも、実際にはわかってないんですけどね。わかってないのにこんなもの作っちゃった。そこもパーフリっぽい。)
この話はフリッパーズがいた時代にはまだ出ていなかった。その後に出てきた話。
だから、小沢健二が今10代として生きていたら、フリッパーズとしてこの話を多分歌にしてた気がする。
小沢健二は自身曰く「元キリスト教徒」だから、もっと説得力を持って聴こえたかも、って思うのと、これ知ってたらヘッド博士の歌詞は変わってただろうし、フリッパーズの解散もなかったかも、って「平行する世界」のことを考えてみたりする。
こういうのもタイミングや巡り合わせが大きいな、と思います。
ぼくりりの「自由意志」ってちょっと疑問っていうのは、物事って自分の意志だけでどうにかなる問題ばかりでもない、例えば天変地異なんかはどうにもできないでしょう。
だから、このアルバムでぼくりりの言ってることもあまり真に受けない方がよくて、
ぼくりりリスナーの若い子は「ノアズアーク」聴くなら小沢健二の「流動体について」を合わせて聴いた方がいいよ、って思う。
「流動体」で小沢健二がはっきりさせないことにもやっとする、って言う人は、このアルバム聴くと「ああそういうこと」ってわかるかもしれないし、「流動体」と「ノアズアーク」は、なぜかそうやって相互に補完するような関係になってるんです。
まったく縁のない二人が作ったのに。それがほぼ同時期にリリースされたのが本当に不思議なんですよね。