Cornelius「Mellow Waves」は歌詞を聴け。5-(1)TheRainSong,Crepuscule(アルバムに潜むFantôme)
Cornelius「Mellow Waves」は歌詞を聴け。
って言っておいて、自分が前回泣いたところで、まだじんわりきてますが、最後までやりとげよう。
Mellow Wavesの記事はデリケートなので書いてて割と緊張する、っていうかわたしが書いていいのかな、って迷う記事なんですよね・・。
Sympathyもそう。(だからなかなか書けないし書いても出せない)
とんでもないもの作ってくれたよ。小山田圭吾。
ただ、この作品でこの人に対する見方が変わったのも事実なんですよね。
09.The Rain Song
「あめのうた」この曲かわいくて好きです。
ぽつぽつ雨が降ってメロディーになっていく、っていう曲。
「Point」「Sensous」あるいは「NHK「デザインあ」」
あたりにあった曲とテーマや歌詞は似ています。
でも、これはメインの音がアコースティックギターで、弾き語りっぽいんです。
それが「Point」「Sensous」あたりの曲とちょっと違って穏やかに聴こえる。
でもコーネリアスだから、そこは音を重ねて右から左から聴こえてきます。
そしてこの曲はきいててどこか童謡を歌っているように感じます。
加えてやっぱりここにも感じる孤独感。
それは「FANTASMA」「point」「Sensuous」までの宇宙から地球を見下ろしているコーネリアスじゃなくて、このアルバムは地上の人間である小山田圭吾の視点に変わっている気がするのです。
どこか 心運び出す
どこか 心連れ出す
この辺りの歌詞とか。
(ここもやっぱり心どっかいっちゃってるんだね・・・)
歌い方は、一音ごとに違う人の声(3人くらい?)で、色々違う場所から聴こえるのでそういう意味で面白いし、聞き取りにくい歌詞でもあります。特に「こころ」
最後の歌詞が「あー」(ため息・だけどコーラス)で終わっています。
(ここもわかりにくい)
次は、最後の曲。
10.Crépuscule
インストゥルメンタル曲です。
タイトルの「Crépuscule」はフランス語で夕暮れ、という意味。
この曲だけなんでフランス語なんだろうね。
アコースティックギターがメインでゆるい感じに弾いてると思います。
非常にアンニュイなんですが、後半に電子音響を重ねてきて、これは2015年の「Constellations Of Music」から引き継がれてる雰囲気。
でも「Constellation-」ほどきらきらさせなくてちょっと控えめ。
アルバムのラストだからこういう曲を持ってきた、っていう意味もあるけど、
今まさに人間としてそういう時期(夕暮れ)であるコーネリアス小山田圭吾、っていう曲でもあるのかもしれないです。
「いつか/どこか」で、「そろそろ」を感じてることがわかるし。
この曲はさいごのギターの音の止め方が切ないです。
そして、この止めが、01「あなたがいるなら」のリスタートにもすごく合う。リピートした時の流れがスムーズです。
なので、07.のラストの「バナナのイメージ」の流れから08.09.って聴いて最後まで聴いたら必ず01「あなたがいるなら」に戻ってみてください。
アルバム通して、夢とうつつの間を行き来しつつ、コーネリアスが内省的になっている。
世の中おかしくなってる、それはわかってるけど、世界がどうのこうの、というよりコーネリアス(小山田圭吾)の今の関心事は、世界より、内面だったり親しい人との関係だったりなんだっていうこと。
それと今、人生に満足してて、子供もかわいい。
でも欠乏感を感じて、すっごくさみしいんだ、それはあの友達がいなくなっちゃったから、人生いつか終わっちゃう、早くしないと、取り返しがつかない、何とかしたい、
って思ってるということがわかると思います。
05.以降、日本語歌詞のものって全部心ここにあらずですよね。
ゆめみてたり、ぼんやりしてたり、ため息ついたり、不思議なイメージ想像していたり。
(車の運転中でさえナルコレプシードライバー状態。)
わたしが、学生時代仲良かった友達との思い出 で泣けてきたのもあるけど、
08.を聴いて歌詞の意味がわかると、アルバムのあちこちに潜む「誰か」の影に気づいてきます。
そしてこの「誰か」に対する小山田の今までと違う切実な想いにも。
どっちに泣けてるのかよくわからないけど。(笑)
そういう意味で、このアルバムは宇多田ヒカルのアルバム「Fantôme」に似ていると思います。(だから昨日宇多田ヒカルの話をしたのは無関係ではないのよ)
「Fantôme」で宇多田ヒカルは母親である藤圭子の影を追い求めているけど、
コーネリアスのこのアルバムの中の曲のあちこちにも「誰か」の影が潜んでいて、ゆめうつつの中でずっとそれを追い求めている。
宇多田ヒカルは手遅れになってからアルバムを作ったけど、
小山田の方は、手遅れになる前に何とかしたい、って気持ちがこのアルバムを作らせてる気がするんです。
だから、02.「いつか/どこか」では、人の時間には限りがある、ということを歌う。
夢のような 思い出さえも
時とともに 霞んで消えていくよ ね/Cornelius・いつか/どこか
「ねっ」って問いかけながら。
(念を押すともいう)
今日出来た 曲を奏でて
さりげなく 友達が歌いだす/Cornelius・未来の人
この歌詞も、今年できたこの曲のことではなくて
こういう青春時代を一緒に送った友達との思い出、のことかもしれないですね。
「今日出来た 曲を奏でて」つまりメロディーを小山田が作ったら、一緒にいた「友達が歌い出す」つまり、歌詞をつけて歌ってくれる。
この二人、ほんとにこんな感じに曲作ってたみたいですから。
Helix Spiral Times/Cornelius・Helix / Spiral
この歌詞も、抽象的な意味だけでなく、
時間の螺旋がぐるぐるまわっていつのまにか歪んじゃった。
Helixには二重螺旋、という意味もあるから、僕ら二重螺旋みたいだったのに時間とともにぐるぐるスパイラル、こんがらがってどうにもならない。どうしたらいいの。
って言ってるような気もします。
この曲だけ声にエフェクトかかって歪んだ変な声なのも気になってて。
この声は、人間の声じゃないです。
たとえるなら映画の「ロード・オブ・ザ・リング 」に出て来るスメアゴルの声みたいなイメージ。
なのも、こういう気持ちであり、卑しい生き物に自分を貶してる感じもします。
このキャラクター、「指輪物語」の中でどういう存在かというと、
・もともとはホビットの種族の一つで、醜くも残忍でもなかったが、指輪の魔力に取り憑かれて狡猾さと残忍さを身につけ、最後はそのせいで命を落とす。
・長い間地底で暮らしていたので孤独。そのため精神を病んで二重人格的な行動を取る。
・失った指輪に固執している。指輪を失った後は、指輪を求めて放浪する。
・指輪を「愛しいしと」と呼ぶ。
スメアゴルはロードオブザリング見て「いとしいしと」っていうセリフと見た目と性格しか覚えてなかったんだけど名前思い出すのに苦労しました。
うーん、思った以上に(以下略)
すくなくとも声だけ聞き苦しいので、だからこの曲は飛ばしたくなる、音は気持ちいいから悩ましい。でもこれも愛だと思って今は聴いてる。
これ聴いて思い出すのがこの歌詞なんです。
冗談のつもりがほんとに降りれない/世界塔よ永遠に
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このアルバムの9曲目。再発されてないから、iTunesには なかった。
やっぱり人間って結構同じことやっちゃうんだな、って。(自分も含めて)
小山田がやらかした話は前したはず。
続きがまだありますが、ピッチフォークのレビューを一応読み終わって感想書いたので、それをまずUPします。
同意できるところもあり、あちらの方が良くお解りのところもあるし、意見が違うところもあった、のですが、一応自分が思うことはそのまま書いてます。
この記事も、レビュー読む前に書いてるんだけど、基本的なところは直してないしね。