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フリッパーズギターを5分で知るための一つの方法(冨田ラボfeat.高城晶平「ふたりは空気の底に」)1

SUPERFINE

コーネリアスMellow Waves

の後半を理解するには、もしかしたらフリッパーズギターから知らないとわからないかも、と思ったところで思い出したのがこの曲です。

ふたりは空気の底に feat.高城晶平

 


歌詞もceroの高城晶平が書いています。ちょうど4分44秒の曲。
この曲は冨田ラボ

SUPERFINE

というアルバムに入っています。

 

SUPERFINE

SUPERFINE

 

 参加アーティストは、cero以外だと、坂本真綾、安倍勇磨(Never Young Beach)、藤原さくら水曜日のカンパネラケンモチヒデフミコムアイ、あとSuchmosのYONCE・・etc.

豪華メンバーだと思います。


「SUPER FINE」は色々と面白いアルバムで、全曲面白いし、色んな人や作詞や歌唱で参加してて、こういう人もいるんだ、って聴く世界が広がるアルバムです。


で、好きな人や曲が結構あるのですが、ceroは好きだけど、高城晶平の声が冨田ラボの曲(エレクトリック)にちょっとしっくりこないな、と思って(やっぱりceroの曲にこそはまる声)このアルバムの中ではあまり聴いてなかったんです。

 

だったのですが、ちょっと歌詞をみたら、「ふたりは空気の底に」のふたりって、どうもフリッパーズの二人みたいなんですよね。

気のせい?いやいや。


ceroはシングル

Orphans / 夜去

の中で、小沢健二

1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)

っていう、小沢健二がニューヨークでひっそり出した「Eclectic」っていうアルバムの中に入っている、あまり知られてない曲をカバーしています。
このアルバムは小沢健二的ブラックミュージックを表現したアルバム。

Eclectic」はほぼ全くといっていいほど宣伝されなかったから、そんなに知られても売れてもいないんです。
(これは、小沢健二が「うさぎ!」で広告・宣伝に関してかなり批判的なことを書いてるから、ここで自分のアルバムは宣伝したらちょっと言行不一致になる、っていう自主規制があったのかもな、と思っています。

その反省か、「流動体」はがっつり新聞広告打ってました。)


「一つの魔法〜」いい曲なんですけど、オザケン、JPOPって感じじゃないから、「LIFE」だけ聴いてるような人は聴かない、割とコアなファンじゃないと知らない曲じゃないかと思います。

それをceroはブラックミュージック咀嚼期間中(「Obscure Ride」)に作ったシングルの中にこのeclecticの中の一曲「一つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」のカバーを入れているんです。


その辺りにちょっとリスペクトを感じるんです。

 

フリッパーズギターを知らない世代の人は、「ふたりは空気の底に」を聴いて、高城晶平の書いた歌詞見ると、
フリッパーズってどんな二人だったのかよくわかると思います。

 

これがもう、ものすごく端的にまとめてくれている。

これ聴けば、5分でわかるフリッパーズギター

 

だけどそこは高城晶平らしくちょっと詩的な表現をしているから、1回5分で聴けるけど、歌詞はちょっと味わってほしいな、と。


なんで高城晶平がここでこういう詩を書いて歌ったのかはわからないけど

(高城晶平だって、フリッパーズ世代からずれると思う)

この曲、ちょっとあの二人にも聴いてほしいわ。


歌詞にキリスト教を連想させる言葉が色々出て来るんですけど(小沢健二キリスト教に縁が深い)、高城晶平は宮沢賢治派だから、キリスト教徒ではないと思うんですよね。

<てんにましますわれらのちちよ>、とか、<God bless you babes>とか、キリスト教的な表現が多用されています。

ceroにはそういう曲が多いのか、っていうとそういうわけではない。

(あ、

Yellow Magus

で祈りの十字、とか出て来るか。)

Yellow Magus

Yellow Magus

 (Yellow Magusに関しては、Obscureバージョンよりこっちが好きです)


「ふたりは空気の底に」のコーラスの入れ方が、「一つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」が入ってるアルバムのコーラスにちょっと似てるな

って思ったりして。


コーラスは、「SUPERFINE」のインストゥルメンタル以外の曲にだいたい入るんですけど、<てんにましますわれらのちちよ>っていう歌詞をコーラスにするその入れ方が、eclecticの「あらし」と似てる。あっちはゴスペルっぽくて、こっちは賛美歌っぽいって違いはあります。

 

空気の底で遊ぼうよ、何も知らないふたり、っていうのが、10代から、フリッパーズ時代のあの二人の状態をすごく良く表現してると思う。


そして、空気の底で屈託なく遊んでたふたり、いつのまにか手と手が離れて、巨大な扉を開ける。でもまたいつか旅の途中で、二人だけの呼び名で思い出すはず、God Bless You, Babes…

って歌います。


だから、この曲は、ceroの高城晶平が「何も知らないふたり」を愛おしんで慈しんで、離ればなれになったふたりがまた遊べる日が来ることを信じて祈ってる、っていうメッセージがあるんじゃないかな、と思っています。

 

次回ちょっと歌詞抜き出しながら説明しようかなって思っていますが、

それまでこの曲だけでも聴いてていただけると腑に落ちるかも。 

 今ピッチフォークの

Mellow Waves

レビュー読んで感想書いて、一応書き終わったけど、長くなっちゃったから土日のどっちかに出そうかなと思っています。

 

 

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